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<追悼 九重親方>
元朝潮、高砂親方が語る千代の富士「この世界でしか生きられない不器用な人だった」 

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佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byNaoya Sanuki

posted2016/08/23 09:00

<追悼 九重親方>元朝潮、高砂親方が語る千代の富士「この世界でしか生きられない不器用な人だった」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

 大鵬、北の湖、そして千代の富士――。昭和の大横綱が、またひとりこの世を去った。今、同じ一門の大関として互いに鎬(しのぎ)を削った元朝潮の高砂親方が、知られざる千代の富士の素顔を語る。かたや北海道の小さな町から、15歳で入門した叩き上げ。こなた学生相撲出身のエリート――ともに昭和30年生まれの同学年だった。

「実は、私が初めて千代の富士と胸を合わせたのは、近畿大学3年時の昭和51年、大阪場所前のこと。当時、いろいろな部屋に近大相撲部が出稽古に行っていたんです。この時の私は、千代の富士相手にガンガン勝ったんですよ」

 この日以降、2年連続学生横綱・アマ横綱となった当時の長岡――高砂親方が、40年前の在りし日に思いを馳せる。この時の千代の富士は、前年9月秋場所で幕内に昇進するも、右肩の脱臼で幕下まで番付を落としていた。「だからそれほど印象もなく、私が入門してからも、特別に意識する存在ではなかった」と述懐する。


 幕下付出しからのスピード出世で、千代の富士とのプロ初対決は昭和53年11月、九州場所のこと。「長岡」の四股名で、前頭10枚目だった千代の富士を小手投げで下す。

「最初のうちは私のほうが番付は上だった。こっちが幕内上位でもたもたしているうちに、いつのまにか千代の富士に抜かれてしまったんです。彼は脱臼癖を直すために、鋼の肉体を作って生まれ変わっていた」

 2度の優勝を経た千代の富士は、昭和56年7月の名古屋場所後に横綱昇進。以来、朝潮は横綱千代の富士戦4連勝が1度、24連勝、20連勝をストップさせてもいる。ふたりの生涯対戦成績は、千代の富士31勝、朝潮の15勝だった。

「彼は右四つで私は左四つ。組み勝ったら一気に持っていける。立ち合いに頭から行って、前褌(まえみつ)を取らせなければよかったんです。でも、左上手でまわしを取られたら、もうダメ。小力(こぢから)――腕力が強いんですよ」

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