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<愛と悲しみのF1狂想曲>
石橋貴明が語る「至高のセナ体験」

posted2019/01/05 17:00

 
<愛と悲しみのF1狂想曲>石橋貴明が語る「至高のセナ体験」<Number Web> photograph by Getty Images

'89年ドイツGPで優勝したセナがプロストを置いて表彰台を去る。不仲説は根強かった。

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松本宣昭(Number編集部)

松本宣昭(Number編集部)Yoshiaki Matsumoto

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 神懸かった走り、ライバルたちとの死闘によって多くの人々がF1とブラジル人ドライバーに心を奪われた。  その1人、番組でカート対決に挑んだ“アイルトン・タカ”が、“音速の貴公子”との出会いと突然の別れを振り返る。

 石橋貴明は、1992年に新聞紙上に見つけた西武百貨店の全面広告を、今でも鮮明に覚えている。アイルトン・セナのモノクロのポートレート写真に、こんなコピーが添えられていた。

 足りないものは何ですか?

 愛が足りない。――アイルトン・セナ

 地位も名誉も勝ち取り、世界中の人々に愛されている。一方、プライベートでは22歳で離婚を経験し、どこか物悲しそうに見えるセナの表情に、石橋は魅了された。

 '87年にフジテレビがF1中継を始めて以来、セナ一筋。初めて生観戦した'89年日本GPでは、セナが残り2周でトップのアレッサンドロ・ナニーニをオーバーテイクした瞬間、13万人の大観衆とともに拳を突き上げた。翌年の鈴鹿では、スタート直後の1コーナーで、セナとアラン・プロストがクラッシュした瞬間、言葉を失った。

 '92年、日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』内でカート対決企画を始めてからは、自身を「アイルトン・タカ」と名乗っていた。

 そんなタカとセナが初めて対面したのは、'92年10月20日。東京・河田町にあったフジテレビ社屋内の、特別応接室だった。

 あの日はたまたま仕事が休みで、家でテレビをつけたら、『笑っていいとも!』にセナが出てたんです。15時からの『タイム3』と、夕方の『スーパータイム』にも出演すると告知していました。慌ててフジテレビのスタッフに「会えないかな?」って相談したら、許可が下りて。『生ダラ』で使っていたセナ仕様のヘルメットを持って、急いで河田町に向かいました。

 ガチガチに緊張しながら応接室に入ったら、セナはソファでくつろいでいる。僕としては、軽く挨拶をして終わりだろうと思っていました。ところが立ち上がってネクタイを締め直したセナは、がっちり手を握って、こう言ってくれたんです。

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