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<みずほフィナンシャルグループ Jump to 2020>
井上康生「日本男子柔道の決意」

posted2018/12/27 11:15

 
<みずほフィナンシャルグループ Jump to 2020>井上康生「日本男子柔道の決意」<Number Web> photograph by Shiro Miyake

text by

生島淳

生島淳Jun Ikushima

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Shiro Miyake

  2016年のリオデジャネイロオリンピックにおいて全7階級でメダルを獲得し、お家芸復活を遂げた男子柔道。2012年11月に監督に就任した井上康生は、短期間で柔道界にどのような変革をもたらしたのか?

  東京2020ゴールド銀行パートナー・みずほフィナンシャルグループは、「東京2020とその先の未来に向けて、お客さまとともに大きく成長する」という意味をJump!というキーメッセージに込めて、さまざまな活動を実施している。

  今回、そのみずほフィナンシャルグループ社員に対し、自身の現役時代の困難や監督就任時の思い、今後の日本柔道の未来を語り、みずほ社員の一層のJump!を加速させた。

 選手、コーチ、そして監督としてオリンピックの舞台に立ちましたが、ひと言で表すなら、オリンピックは異常な世界です。

 私がシドニーオリンピックで金メダルを獲得したときは、まだ大学生で怖いもの知らずなところがあり、勢いで勝ってしまったような感じでした。その4年後のアテネオリンピックでは「99%金メダル確実」といった事前報道があり、勝って当たり前、という思いが自分にも、周囲にもありました。

 ところが、準々決勝で敗れてしまった。そこから敗者復活戦に回りましたが、気持ちを立て直すことができず、メダルを逃してしまいました。

 これまで、私は何千試合と戦ってきましたが、もう一度時計の針を戻したいと思っている試合は、アテネの敗者復活戦です。

 もう一度、しっかりとした気持ちで試合に臨みたい。そう考えてしまうのです。

 実は、私が監督として戦ったリオデジャネイロオリンピックで感銘を受けたのは、金メダルを取れず、3位決定戦に臨んだ選手たちが全員、勝って銅メダルを獲得したことなんです。

 彼らは金メダルの夢を持って、オリンピックに参加しました。しかし、その夢が果たせずとも、気持ちを入れ替え、試合に集中してくれた。立派だったと思います。

ロンドンオリンピック後、34歳で監督就任。

 もともと、私が日本代表の監督に就任したのは、ロンドンオリンピックが終わったばかりの2012年です。

 ロンドン大会で、日本の男子柔道は1964年の東京大会で柔道競技が採用されてから、はじめて金メダルがゼロに終わりました。

 日本柔道界の危機とも言われ、たいへんな時期に監督の話を頂戴しました。私はまだ34歳でしたし、指導者としての経験も十分ではないという思いもありましたが、「自分が監督だったとしたら、こうしたチームを作りたい」という思いもあり、それこそ覚悟をもって監督を引き受けました。

【次ページ】 選手が「覚悟を持つ」ために。

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