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<マオとヨナの最終章> 彼女が私を、強くした。
text by

タチアナ・フレイドTatjana Flade
photograph byTakao Fujita
posted2014/02/10 06:15

バンクーバー五輪の翌月に行なわれた世界選手権では、真央がヨナを抑えて優勝。
どちらも順風満帆だったわけではない。それでも、
視線の先に互いの姿があったから、走り続けてこられた。
彼女たちの紡いできた物語とは――。
一体、誰が忘れることなどできるだろう?
フィギュアスケートでは、今でも人々に語り継がれる偉大なライバル関係とその逸話がいくつも残されてきた。
例えば'88年カルガリー五輪。
米国のブライアン・ボイタノとカナダのブライアン・オーサーが金メダルを競り合った男子の「ブライアンの戦い」。女子では、東ドイツのカタリナ・ヴィットと米国のデビー・トーマスが繰り広げた「カルメンの戦い」があった。
あるいはアレクセイ・ヤグディンとエフゲニー・プルシェンコのように、どちらも同じロシア人だったこともある。イリーナ・スルツカヤとミシェル・クワンの、勝ったり負けたりだった友好的なライバル関係もよく知られている。
浅田真央とキム・ヨナのライバル物語は疑いようもなく、これらの過去の偉大なストーリーに連なるレベルのものだ。2人の抜きん出た才能を持つ選手が、たまたま同じ時期に国際試合の舞台に登場したのは、奇跡のようでもあり、また運命のようなものなのかもしれない。
始まりは、'04年秋のことだ。この年、浅田真央もキム・ヨナも、13歳でジュニアグランプリシリーズに初参戦した。ヨナは9月5日生まれ、真央は9月25日生まれと、年齢までほとんど同じだった。
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
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