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[真相ドキュメント]大谷翔平「伝説が生まれた日」

2023/03/30
ゲームセットの瞬間、大谷は雄叫びを上げながらグラブと帽子を放り投げた
決勝の9回表2アウト。ユニフォームを泥で汚してマウンドに立った彼は、米国の象徴ともいえる最強打者トラウトを抑え、世界一の野球少年となった。夢のような物語はいかにして実現したのか――。激闘を終えた指揮官が明かす。

 WBC準決勝の2日前。

 強い陽射しが照りつけるフロリダ国際大学の野球場で、栗山英樹と大谷翔平が何やら話し込んでいる。このふたりが人目に触れるところで長話をするのは珍しい。このとき、彼らは遠回しに、しかし入念にある“シナリオ”を書き上げようとしていた。

 日本が決勝に勝ち進んだ場合、9回のマウンドに立つのは大谷翔平――。

 遠回しに、というのは、ふたりの間で「決勝、行くぞ」「わかりました」的なわかりやすいやりとりが交わされることはないからだ。これは10年間、ずっと変わらない。

 その直前、大谷の通訳を務める水原一平がひとりで栗山監督のもとへやってくる。栗山は水原に問い掛けた。

「これからの予定、大丈夫か」

「しっかり話したので大丈夫です」

「そうか、じゃあ、本人と話すよ」

 水原が栗山に伝えたのは、大谷がエンゼルスとしっかり話をして、決勝で投げる可能性を承知してもらったということだった。その報告を受けて栗山は大谷に確認を求めた。それがこの練習日の長話の内容だ。

 しかしそのとき、栗山と大谷の間で「決勝」とか「投げる」とか、そういう言葉は一切、飛び交わない。

「どうだ、大丈夫か」

「身体の状態次第なんで」

「わかった、準備する」

 残りの時間は「調子が悪いときはどうしているの」といった話をしていて、じつは1分足らずで決勝のシナリオは書き上がっていた。具体的な言葉はなくとも翻訳すれば「決勝の9回はお前で行くぞ」「そのつもりです」という合意が成立しているというのだ。栗山が大谷を“天邪鬼”と表現する所以である。短いやりとりの中から汲み取った大谷の想いを、栗山はこう解き明かした。

「オレは翔平を決勝で行かせようとずっと思っていた。でもアイツは天邪鬼だから、オレが先に『投げろ』と言ったら絶対に投げないんだよね。だから翔平のほうから投げたいと言い出すのを待っていたわけ。翔平のことだから、勝ちたくなってスイッチが入ったら絶対に自分から『行きます』って言ってくる。そうしたら案の定、翔平からは『投げたい』とは言わないんだ。でも『身体の状態次第』ってことは投げるってことでしょ。あの段階で翔平は決勝で投げるつもりになっていたと思うよ」

 日本が決勝へ勝ち上がった後、大谷が投げる可能性を栗山から聞かされていたのは投手コーチの吉井理人とブルペン担当コーチの厚澤和幸だけ。栗山がその意図を周りに明かさなかったのは、大谷登板は展開次第であまりに複雑なオペレーションになるため、端から大谷が投げると周りに期待させるのは得策ではないと考えたからだ。

ブルペンから戻った7回裏、二遊間のゴロを放つと全力疾走で内野安打に Naoya Sanuki
ブルペンから戻った7回裏、二遊間のゴロを放つと全力疾走で内野安打に Naoya Sanuki

 たとえば同点もしくは1点ビハインドで9回を迎えたとする。あるいは1点リードで大谷が登板して、同点に追いつかれたとする。その場合は反撃が必要なので、当然、バッターの大谷は外せない。しかし大谷が9回にDHからマウンドへ上がった場合はルール上、DHが消える。“3番DH大谷”が“3番ピッチャー大谷”になった瞬間、DHには戻れなくなるのだ。つまり延長に突入した場合、1イニング限定のピッチャー大谷を交代させたら、試合から下ろすか、他のポジションで使うしかなくなる。

「レフト? そんな話をしたこともあったね(笑)。シーズン最後ならそうやって無理していってもらう手もあるけど、この時期にそれはできない。負けていたらバッターの翔平のほうがチームにとっては大事だから、ピッチャーの翔平を投げさせられなくなる。そういうことを事前に考え尽くしておかなきゃならないからね」

 アメリカとの決勝戦。

 球場に着いた栗山は、まずチームの練習から離れてベンチ裏へ出た。そこからレフトの奥にあるブルペンまで、グラウンドへ出ることなく行けるものなのかを確かめようとしたのだ。DHの大谷がリリーフで登板するためには、打席が回らないタイミングでピッチャーの準備をしなければならない。ブルペンがベンチ裏にあれば問題ないのだが、レフトにあるとなれば、どのタイミングで、どうやって移動するのかが問題となる。だからまず、栗山はその動線を自分の足で確認したかったのである。

 実際にベンチ裏から通路を歩くと、途中に係員がいてその先へ進めないところもあった。理由を説明してさらに進み、レフトのブルペンを目指す。しかし、最後のところではどうしても観客の前を10mほど歩かなければならない。ただ、そうすれば裏の入り口からブルペンへ入れることがわかった。それを確かめると、グラウンドへ出た栗山は外野で球拾いをしながら、大谷のキャッチボールを観察していた。

「この感じなら大丈夫だなと思った。この2年で急成長した翔平の進化のスピードはオレの思っていたよりもかけ算、かけ算で倍増してる。身体の強さは練習を見ているだけで十分、感じられたからね」

 栗山は覚悟を決めて、ベンチの裏で大谷を待った。投打の両方で出場するときはやることが多すぎて大谷の歩みを止めることは難しい。それを百も承知の指揮官は、準決勝の試合前に呼び止めることも考えた。しかし、準決勝では大谷の雰囲気がそれをさせなかった。「あまりに入り込んでる」(栗山)と感じたからだ。それでもさすがに決勝を前に何も伝えないわけにはいかない。目の前に現れた大谷を「ちょっと話がある」と呼び込んで、栗山はこう言った。

Naoya Sanuki
Naoya Sanuki

「準備、大丈夫か。ブルペン、レフトにあるけど……」

 栗山がそう言いかけると、大谷が遮った。

「僕がやりますから、心配しないで下さい」

 そう言って立ち去ろうとする大谷に、栗山は「最後、行くからね」とだけ伝えた。

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photograph by Yukihito Taguchi

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