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<待望のボクシング界ホープ> 井岡一翔 「世界王者がスタートライン」 

text by

渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

PROFILE

photograph byTakuya Ishikawa

posted2011/02/08 06:00

<待望のボクシング界ホープ> 井岡一翔 「世界王者がスタートライン」<Number Web> photograph by Takuya Ishikawa

ボクシング一家に生まれた一翔の意外な生い立ち。

 一翔はボクシング一家に生まれた。父の一法は元プロボクサー。叔父の弘樹は世界2階級制覇の元世界チャンピオンである。

「会長(叔父)の試合は見に行きました。まだ小さかったですから内容は覚えていませんけど、確か会長が3階級制覇を目指しているころだったと思います」

 野球やサッカーに興じていた小学生は、叔父の姿を見てボクシングをやってみたいと考えた。いや、通常の親子鷹であれば、父が息子の意思表示を待たず、拳闘の手ほどきを始めるところであろう。

「よく言われるんですわ、お父さんがやらしたんでしょうって。うちは違います。むしろ反対やった。やめとけと。ボクシングの厳しさを分かってますし、わが子にきついことさせたいとは思いませんからね」

 一翔の記憶もこうだ。

「僕がボクシングやりたいと言い始めたころ、お父さんはどちらかといえば反対でした。結局、始めるにしても、もっとしっかりした考えが持てるようになってからの方がええと。それで中学から始めたんです」

元世界王者の叔父・弘樹も甥っ子へのアドバイスを惜しまなかった。

 息子が決意を固めたからには、親として黙っているわけにはいかない。やらせたくないという気持ちが本心なら、拳を固く握りしめた息子を頼もしく思う心もまた本当だった。一法のプロでの戦績はわずかに2戦2勝。自らは不本意な形で現役に別れを告げていた。

「ボクシングは続けたかったけど、ご飯食べていくのにね。そういう後悔はね、若い選手に言うて聞かせてるんです。僕の後悔をね。本当は自慢話をしたいですけどね」

 中途半端はあかん。自らの経験がそう強く思わせるのだろう。父は息子に徹底して基礎からボクシングを叩き込んだ。

 もともとボクシングがやりたくて仕方がなかった一翔だ。厳しい練習に音(ね)を上げるどころか、父に手ほどきしてもらえる毎日はとても充実していたという。

「最初から面白かったですよ、ボクシングは。嫌になったことは一度もありません。それに性格的に団体競技は向かないんです。野球なんてピッチャーがストライク入らんかったらイライラしますから(笑)」

 父親だけでなく、叔父の弘樹も甥っ子へのアドバイスを惜しまなかった。井岡家の血筋と本人の努力。実力は高校に入ると花開く。インターハイ、選抜、国体という高校3大タイトルを6つ獲得し、史上3人目となる高校6冠王に輝いたのである。

「アマチュアの試合に出ているけど、ずっとプロボクサーという気持ちでやってました。自分にはボクシングしかない。自分からボクシングを取ったら生きていく希望がない。高校のころから目標はプロの世界チャンピオン。だから気持ちだけは他の選手と明らかに違っていました。他の選手が僕に勝てなかった理由はそこの部分だと思います」

【次ページ】 アマチュアでの目標を失い、大学を中退してプロへ。

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