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<ドイツのトルコ人社会を訪ねて> メスト・エジル 「現代的トップ下を作った創造性と規律」 

text by

木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

PROFILE

photograph byTsutomu Takasu

posted2011/02/05 08:01

レアル・マドリーでトップ下としての地位を確立したエジル。
トルコ移民の子として ドイツに生まれた彼はいかにして
クレバーでシンプルなスタイルを身に付けたのか。
原点を探るべく故郷ゲルゼンキルヘンを訪ねた。

 どんなにトップスピードで走っていても、メスト・エジルはまるで絨毯に落としたかのように、柔らかいタッチでボールをトラップすることができる。

 1月3日、スペインリーグ17節、ヘタフェ対レアル・マドリー戦の前半19分。

 ディマリアが右サイドをドリブルで駆け上がると、中央にいたエジルが矢のようにゴール前へダッシュを開始した。ディマリアからの強烈なパスをエジルはピタリと止め、顔を上げたままワンフェイントでGKをかわし、無人のゴールにボールを流し込んだ。

 まるで路地裏にいる友達をからかって、ドリブルで翻弄するかのように。

 エジルは今、世界で最も注目される攻撃的MFのひとりだ。レアルのトップ下を任され、ジネディーヌ・ジダンと比較される存在になりつつある。

 '88年、エジルはドイツ西部のルール工業地帯の小都市、ゲルゼンキルヘンで生まれた。ゲルゼンキルヘンはかつて炭鉱で栄えた町で、エジルの祖父は出稼ぎ労働者として、トルコから移住してきた。町はたくさんのトルコ系移民で溢れ、活気に満ちていた。

 だが、'80年代に炭鉱が次々に閉鎖されると、町の様子は一変する。主要産業がなくなり、トルコ系移民の多くが職を失った。エジル一家が住んでいたビスマルク通り周辺は、「ドイツ一貧しいトルコ人街」と陰口を叩かれるようになった。

「サルの檻」で朝から晩までボールを蹴っていた少年エジル。

 しかし、子供が遊ぶのに、地元経済の景気など関係ないだろう。

 エジル家から歩いて1分もかからないところに、小さな土のサッカーコートがある。高さ約3mの金網で囲まれ、入り口には「14歳以上お断り」という看板がかかっている。

エジルがサッカーに興じた「サルの檻」

 外界から隔離するように金網がそびえ立っているため、ついたあだ名が「サルの檻」。エジルは4歳上の兄とともに、毎日のように檻の中で“ストリートサッカー”に興じた。

「メストが朝から晩まで、ボールを蹴っていたのをよく覚えているよ」

 そう振り返るのは、ビスマルク通りのトルコ人社会の顔役、アタマン・イルディスだ。イルディスはトルコ系移民クラブ、フィルティナスポルの会長を務め、エジル家とは家族ぐるみでつきあいがある。

「このあたりで生まれたトルコ人は、みんな家族のようなものだ。メストは内気で、引っ込み思案な子だったが、ボールを持ったら放そうとしなかった。トルコ人はドリブルが好きだからね(笑)。それに多くのトルコ人家庭が子沢山なことも、彼の成長を助けたと思う。たくさんの子供とプレーすれば、それだけいろんなテクニックやフェイントに触れることができるからね」

<次ページへ続く>

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