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12チーム222ゴール“流浪のストライカー” 大黒将志40歳が語る“引退”「まだ続けられたけど…お金を無視するのは違った」

posted2021/02/01 17:15

 
12チーム222ゴール“流浪のストライカー” 大黒将志40歳が語る“引退”「まだ続けられたけど…お金を無視するのは違った」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

1月22日、都内で引退会見を開いた大黒。22年間で12チームを渡り歩いた

text by

栗原正夫

栗原正夫Masao Kurihara

PROFILE

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Yuki Suenaga

 元日本代表FWの大黒将志(40歳)が、現役生活に別れを告げ、来季から古巣ガンバ大阪の下部組織のストライカーコーチに就任することになった。日本代表に入った05年には、ドイツW杯アジア最終予選の北朝鮮戦の後半終了間際に決勝点を挙げたことで“神様・仏様・大黒様”と呼ばれるなど時の人となったこともあったが、それ以前もそれ以後も大黒がこだわってきたのは、FWとしてゴールを決めることだった。40歳になったいまもゴール嗅覚に衰えは見られないが、指導者としての成功を目指し、新たな舵を切ることになった大黒を直撃した。(全3回の1回目/#2#3に続く)

「J1かJ2でやらせてもらえればと思っていたのですが……。体に痛いところはなく自主トレは続けていたので、どのカテゴリーでもチームが決まればゴールできる自信はあったんですけどね。将来的には指導者として成功したい思いもありますし、これからはコーチ業を頑張ります」

 2021年1月22日。都内で引退会見に臨んだ直後、大黒は清々しい表情でそう言った。

 1980年生まれの40歳。99年にガンバ大阪ユースからトップチームに昇格した大黒は、04年に日本人最多の20ゴールを挙げたことが評価され、翌05年に初の日本代表入り。代表2戦目となったW杯アジア最終予選の北朝鮮戦で79分に途中出場すると、ロスタイムに値千金の決勝弾を挙げて一躍全国区の人気選手となった。

 06年にはドイツW杯に出場し、その後は夢だったセリエA(トリノ)への移籍も実現。近年はJ2でのプレーが続いていたが、鋭い得点感覚に衰えはなく18年には史上初のJ2通算100ゴールを達成。キャリア最後のシーズンとなった19年の栃木SC(J2)でも29試合出場6ゴールとチームトップの得点を挙げていた。

 “空白”となった昨季は10月末の登録期限ギリギリまでオファーを待っていたが、コロナ禍の影響もあってかチームが決まらず、古巣ガンバ大阪からのオファーを受ける形でスパイクを脱ぐことを決めた。

「まだ続けられたけど…お金を無視するのはどうかなって」

 引退は決めたものの、トレードマークのフサフサの髪と人懐っこい笑顔はもちろん、立ち姿だって若い頃と変わらないように見える。大黒自身も体力の衰えは一切感じていないと話す。

【次ページ】 “流浪のストライカー”「22年間一度も戦力外にならなかった」

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大黒将志
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