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大卒22歳で「0円」は致命的だった。
選手が理解すべき「市場価値」とは。

posted2020/06/25 11:30

 
大卒22歳で「0円」は致命的だった。選手が理解すべき「市場価値」とは。<Number Web> photograph by Ryotaro Nakano

大学を卒業後、欧州、アジアの各クラブに自らを売り込んだ経歴を持つ中野遼太郎(中央)。「市場価値」を理解するまでに3年もかかったと当時を振り返る。

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中野遼太郎

中野遼太郎Ryotaro Nakano

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Ryotaro Nakano

ラトビア1部リーグ・FKイェルガヴァでコーチという肩書きを持ち、日本人初となる欧州1部リーグ監督を目指す中野遼太郎氏による連載『フットボールの「機上の空論」』。今回のテーマは選手の「市場価値」について。4カ国を渡り歩いた現役生活では自らを売り込み、契約に至るまで全て1人で行ってきたという中野氏が考える、プロとして必要な心構えとは。

 僕は10年間のささやかな現役生活において、そのすべてを海外で過ごしました。

 しかし選手としての力不足から「あなたと契約したい」というマネジメント会社がなかったので、そのほとんどの移籍と契約を自分で管理することになりました。この経験は僕にたくさんの財産をくれましたが、もし僕がとても有能で、そのような仲介業にあたる人々から「積極的に」求められる、もっといえば争奪戦になるような人材であったならば、確実にそういったプロの組織に仕事を預けることを選ぶ、ということは、最初に明確に示しておきます。

 これはとても重要な部分で、僕は誰でもいろいろと自分でやるべきだ、そうしながら自身のキャリアを「切り拓く」べきだと語るつもりはありません。というより、ある一定以上の領域からは「自分でやる」のは不可能になります。

 ただし、競技スポーツの世界、とりわけプロの世界では、誰もが平等に、みんなが積極的にお互いを求めあうわけではありません。こちらは求めているのに、相手は必要としていない、という事態は起こります。けっこう頻繁に起こります。

 そして僕の場合は「仲介で助けてくれる人がいないなら選手生活を諦めます」という程度の熱量でプロ選手を目指していたわけではありませんでした。良く言えば自ら道を「切り拓き」ながら、より実際に則した言葉を使えば「見えた藁にすがりつき」ながら、僕なりのキャリアを継続させてきました。

トラブルさえもなかったことにする。

 異国で自分を売り込み、テストと宿泊をアレンジして、契約交渉を行い、さまざまな事務手続きを、自分の責任のもとで管理し、完了させる。これは自らトラブルに挨拶しに行っているようなもので、ほとんどのトラブルが律儀に、そして大声で挨拶を返してくれます。当初は「失礼します」と慎重に対応していた問題にも、慣れてくれば「ごきげんよう! 今日も元気にのさばってるね!」と言えるようになります(言えるようになるだけで解決はしません。「適応すること」と「解決すること」は似て非なるものです)。
 
 たとえばタイには、持ち帰った1のトラブルを、次の日には10にすることの出来るマジシャンがいました。ロシアには、持ち帰った10のトラブルを、次の日には「存在しなかった」ことにするマジシャン(たぶんグループ)がいました。ポーランドには、1で持ち帰ったトラブルを、丁寧にリボンで包装して、綺麗に1のまま返却してくれるマジシャン(たぶん見習い)がいました。そういう相手に、個人の知識と責任において、しかも自分が本気で求めているものを懸けて対峙するというのは、非常に骨の折れる作業です。自分で挨拶しに行っているとはいえ、です。
 
 前置きが長くなりました。

 今回は、いまは誰にも必要とされていないけれど、自分だけは自分の描く未来を強烈に必要としている人に向けて、あるいは後ろ盾はないけれど一歩目を切り拓いていく必要のある人に向けて、僕が「いろいろ自分でやってみた」経験から、どの藁を掴んだのかという部分を書いてみたいと思います。

【次ページ】 自分の値段に気づくまでに3年。

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