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「まだまだ谷間の世代は終わらない」
阿部勇樹38歳、笑顔で語れる理由。

posted2019/10/10 11:30

 
「まだまだ谷間の世代は終わらない」阿部勇樹38歳、笑顔で語れる理由。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

優しい瞳の奥に備えた戦術眼。南アフリカW杯、ジェフ、レッズで輝いた阿部勇樹は今もなおJ1のピッチに立つ。

text by

浅田真樹

浅田真樹Masaki Asada

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Yuki Suenaga

 16歳10カ月30日――。1998年当時、阿部勇樹が作ったJリーグ最年少出場記録である。

 1981年生まれの阿部は、今年で38歳。つまり、サッカー選手としてのキャリアで言えば、22年目を迎えたことになる。

 阿部よりも年上で今も現役を続けている選手、例えば、1978年生まれの中村俊輔でも、Jリーグデビューは1997年だから23年目。1980年生まれ(1979年生まれと同学年の早生まれ)の遠藤保仁は、1998年デビューで22年目。彼らと比べても、阿部の“息の長さ”は驚異的だ。これほど早熟と晩成を両立させている選手も珍しい。

 もちろん、現在所属する浦和レッズでは、断然の最年長。10代の選手からすれば、もはや大のつくベテランだろう。

 今にも雨が落ちてきそうな曇天の下、午前の練習が終わると、阿部はしばらくピッチ脇でスタッフと話した後、貫禄十分に一番後ろから引き上げてきた。

中学から別次元だったキック精度。

 クラブハウスに姿を消してほどなく、練習着姿で指定の部屋に現れた阿部に、今回の取材テーマが「谷間の世代」についてであることをあらためて伝える。すると、これまで数えきれないほどの取材をこなしてきたはずの大ベテランも、少しばかり顔をひきつらせた。

「何かあると、僕らはだいたい谷間の世代って言われてきましたから。なんで谷間っていう言い方をされてしまったのかな、とは思いますけどね」

 そして、苦笑いを浮かべつつ続ける。

「でも、それにはやはり理由があったとも思うし。2個上の黄金世代の後の年代で、世界大会の結果が(悪かった)、っていうのも少なからずあった。だから、ある程度納得する部分もあったけど、そう言われるからこそ見返さなきゃいけないって思う選手は多かったんじゃないかな」

 およそ21年前、阿部は日本サッカーの未来を背負う、期待の新鋭だった。

 日本は1998年フランス大会でワールドカップに初出場するも、世界との力の差を思い知らされるグループリーグ3連敗。4年後には自国開催のワールドカップが待っているなか、若手の育成・強化が急務だった。

 そんな折、高校2年生の阿部はジェフ市原(現・千葉)でJリーグデビュー。1年目の1998年こそ、デビュー戦1試合の出場にとどまったが、翌年には高校生Jリーガーとして、J1で30試合に出場している。

 身長は180cmに満たず、決して大柄ではないが、フィジカル能力は高い。加えて、ピッチを横断するロングキックの精度は、中学時代から同世代では別次元だった。

【次ページ】 トルシエが飛び級で招集したほど。

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