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600試合登板、楽天・青山を救った
星野仙一の「稼ぎたくないんかい!」。 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byKyodo News

posted2019/09/26 08:00

600試合登板、楽天・青山を救った星野仙一の「稼ぎたくないんかい!」。<Number Web> photograph by Kyodo News

8月14日のソフトバンク戦で1回を無失点に抑え、通算600試合登板に華を添えた楽天・青山

斎藤隆に諭されフォームもケアも作り直し。

「もう一度、体を作り直そう」

 新たな試みに挑戦しようとしていたのだ。その決意を促したのが、'13年にメジャーリーグから楽天に移籍してきた斎藤隆だった。

 青山が大ベテランから諭される。

「30を過ぎると、本当に体力の衰えが早く感じる。5年、10年後を見据えて、今からトレーニングを積んでおいたほうがいい」

 その作業は徹底していた。怪我のリスクを軽減するための投球フォーム作りから着手し、練習でもショートダッシュを多く取り入れアジリティの強化にも努めた。さらには、「ウォーミングアップからしっかり体を動かせるように」と、ナイターでも午前中から球場入りし、体のケアを入念に行うようにもなった。

 言うなれば、青山はそれまでの自分をリセットしたわけだ。

 とはいえ、彼は勝ちゲームを託された投手である。いくら実績があるからといって、ゼロから自分を仕上げながら職務を全うすることは容易ではない。'14年から打たれる試合も目立つようになり、'16年には50試合に投げながら防御率4.83と、キャリアワーストに近い成績に終わった。

「ブルペンエース」と揶揄され、ポテンシャルを解放しきれていなかった若手時代とは違う風評が漂う。「限界説」だ。

「嫌味な挨拶でもしてやろうか?」

 それでも、青山の根幹はブレなかった。

「パフォーマンスとか成績に起伏は出てきましたけど、『体力は衰えてもボールは衰えさせない』ってところを求めて続けてきたんでね。そこは信じてやるしかなかったです」
 初志貫徹を誓ったとはいえ、若手の台頭もありチーム内での序列が下がっていく。そういった現状に納得していたわけではない。

 '17年のことだ。2度の二軍落ちから一軍昇格を告げられた青山は、半ば腐っていた。自分の立ち位置、昇格後の役割が明確化されていない状況でマウンドに上がったところでモチベーションが上がらないのだと、当時の平石洋介二軍監督に本音をぶちまけた。

 心にぽっかりと穴が開いていたような青山が、平石に尻を叩かれる。

「『どこでも投げます!』って言って、投げてこい!!」

 その言葉に、青山は煮え切らない自分を認識し、腹をくくることができた。当時抱いていた本音を打ち明ける。

「正直、二軍の落とされ方もよくわからなかったんで、一軍に上がったら『嫌味な挨拶でもしてやろうか?』くらい考えていたんですよ(笑)。でも、平石監督に『どこでも投げろ』と言っていただいて。自分で言葉を発している以上は責任を持たないといけないというか、文句も言えないから。そこで吹っ切れたっていうのはありますね」

【次ページ】 「コーチに気を遣われる選手になってはダメ」

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