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トライアウト→J2琉球→セレッソ。
鈴木孝司の人生が変わった半年間。

posted2019/08/20 19:30

 
トライアウト→J2琉球→セレッソ。鈴木孝司の人生が変わった半年間。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

セレッソには柿谷やメンデスらアタッカーが豊富に揃っている。その陣容の中で鈴木孝司は成り上がることはできるか。

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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 またひとり、泥臭い仕事人がセレッソ大阪に加入してきた。

 J2のFC琉球から完全移籍してきた鈴木孝司が横浜F・マリノス戦(17日)で念願のJ1デビューを果たし、チームの連敗を2で止めた。

 初出場は、絶好のタイミングでやってきた。

 後半28分、1-1の状況でFWブルーノ・メンデスに代わって出場。ベンチには柿谷曜一朗、田中亜土夢ら攻撃的な選手がいたが、ロティーナ監督は鈴木を指名。わずか4日前の13日に移籍してきたばかりだが、そこに指揮官の厚い信頼が見て取れた。

 その起用にも、鈴木に「緊張はなかった」と言う。

「前半ベンチから見ていて、雰囲気を肌で感じることができたので落ち着けていた。1-1に追いつかれての出場だったので、結果を求めていくだけでした」

J3、J2とゴールし続けてJ1デビュー。

 J3通算64試合31ゴール、J2通算112試合34ゴールと実戦で鍛えられ、経験を重ねてきた叩き上げの選手だ。緊張した様子など微塵も感じられず、ずいぶん前からいる選手のように大胆にプレーしていた。

 鈴木にとってJ1デビューとなった日産スタジアムは、F・マリノスのジュニアユース追浜に所属していた鈴木にとって“聖地”である。地元の友人が駆けつけて声援を送る中、鈴木はJ1のプロサッカー選手として、15年ぶりに聖地に戻ってきたのだ。

「マリノスのジュニアユースに育ててもらったので、このスタジアムでJ1デビューし、しかも勝利で飾ることができて本当によかった」

 鈴木は、笑みを浮かべてそう言った。

 だが、この瞬間に至るまでのサッカー人生は、決して順風満帆ではなかった。

 2012年に法政大からFC町田ゼルビアに入団し、翌年にはJFLで15得点を挙げてレギュラーに定着した。'14年はJ3で19得点を挙げて初代得点王になり、'15年はシーズン12得点に加え、大分との入れ替え戦で2試合3得点を挙げてJ2昇格に導いた。鈴木は町田のエースとして、その名に恥じない結果を出し続けていたのだ。

【次ページ】 琉球のスタイルがフィットした理由。

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