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金子千尋が自由契約前に話し込んだ、
オリックスの未来と自身の葛藤。

posted2018/12/14 08:00

 
金子千尋が自由契約前に話し込んだ、オリックスの未来と自身の葛藤。<Number Web> photograph by Kyodo News

金子千尋はオリックスで最多勝2回、最多奪三振1回、最優秀防御率1回、2014年には沢村賞、パ・リーグMVPを受賞した。

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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Kyodo News

 オリックス一筋14年で、120勝を積み重ねたエース金子千尋が、北海道日本ハムへの移籍を選んだ。

 今年の春季キャンプで金子は、開幕投手は自分ではない別の投手が務めた方がいい、という発言をした。チーム内の他の投手に「自分がやってやるんだ」という気持ちをもっと持ってほしいという思いからだった。

「もう僕の時代は終わってもいいのかなと思います」とも語っていた。

「もちろん自分では、終わるつもりはないですけど。僕はもちろんキャリアハイを狙っていますが、もっとすごい成績を挙げるピッチャーが別に出てきてもいい。そういう意味で、僕の時代は終わってもいいんじゃないかとは思います。

 僕の成績が落ちて、僕より勝つピッチャーが現れるんじゃなくて、僕も(キャリアハイを)更新して、なおかつそれよりもっとすごい成績の選手が出てくるというのが理想ですよね」

 そうなることが、チームの優勝に近づくことにもなると考えていた。

 シーズン後にこのような形で「オリックスのエース金子千尋」の時代が終わることになるとは、金子自身も想像していなかったのだが。

直球が走らなければ変化球も。

 2004年のドラフト自由枠でトヨタ自動車からオリックス入りした金子は、2008年に初めて10勝を挙げ、2014年までの7年間で6度の2桁勝利を記録した。150キロを超えるストレートと多彩な変化球を抜群のコントロールで操り、福岡ソフトバンクと優勝争いを繰り広げた2014年には16勝5敗、防御率1.98という数字を残し、沢村賞を獲得した。

 この頃の金子は、毎試合、「ノーヒットノーランをするのでは」と思わせるような凄みがあり、周囲に絶対的な安心感を与えていた。

 ただここ数年は、ストレートに以前のような威力が見られなかった。ストレートが走らなければ、七色の変化球も活きない。

 今年はシーズン終盤に首から背中にかけての強い張りのため登録を抹消され4勝7敗に終わった。それでもシーズン後は再起を目指し海外でのトレーニングも行なっていたが、球団からは来季の契約について、減額制限を大幅に超える提示を受けた。

【次ページ】 オリックスの未来を話し合って。

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