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嵐のように生き、刃物のように闘う。
ダイナマイト・キッドよ、永遠に!

posted2018/12/07 17:00

 
嵐のように生き、刃物のように闘う。ダイナマイト・キッドよ、永遠に!<Number Web> photograph by AFLO

タイガーマスクと過酷な戦いを繰り広げたキッド。代償は大きかったが、リングに残したものも多かった。

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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 “爆弾小僧”ダイナマイト・キッドが自身の60歳の誕生日である12月5日、帰らぬ人となった。

 1980年代前半、空前のプロレスブームを巻き起こした初代タイガーマスクのデビュー戦の相手であり、最大のライバルであったダイナマイト・キッド。

 当時『ワールドプロレスリング』実況の古舘伊知郎アナウンサーが「全身これ鋭利な刃物!」と称したとおり、すごみを漂わせる危険な佇まいと、カミソリのような切れ味のファイトで多くのファンを魅了した。

 身長173cmという小さな身体ながら、常に全力で相手に攻撃を仕掛け、また全力で相手の攻撃を受けきる。その命を削るような闘いぶりは、今も伝説としてファンの記憶に残り、また世界中のレスラーたちに多大なる影響を与えた。

 しかし、自らの身体を顧みない過激すぎるファイトは代償も大きく、引退後は車椅子生活となり、後年はほぼ寝たきりの生活を送っていたことも知られている。

 プロレス黄金時代を全力で駆け抜けていき、何も言わずに静かに去っていったダイナマイト・キッドのレスラー人生をあらためて振り返ってみたい。

空前のプロレスブームを起こすきっかけ。

 ダイナマイト・キッドこと本名トーマス・ビリントンは、1958年イギリス・ランカシャー州生まれ。12歳でランカシャーレスリングのトレーニングを開始。“神様”カール・ゴッチや“人間風車”ビル・ロビンソンを輩出し、劇画『タイガーマスク』に登場する虎の穴のモデルとしても知られる“蛇の穴”ビリー・ライレージムでも修行を積み、16歳でプロデビュー。

 19歳でカナダの名門ハート一家にスカウトされカルガリーへと渡ると、その過激なファイトで一躍現地のトップレスラーとなった。

 '79年7月、国際プロレスに初来日。'80年からは新日本プロレスに参戦し、'81年4月23日にタイガーマスクデビュー戦の相手に抜擢されると、これまで誰も見たことがないような名勝負を展開。ダイナマイト・キッドの名を一躍世間に轟かせるとともに、タイガーマスク人気爆発により、空前のプロレスブームを巻き起こすきっかけを作った。

【次ページ】 リング内外で“危険”でありつづけた。

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ダイナマイト・キッド
トーマス・ビリントン

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