才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER

震災、W杯優勝、海外……多くの経験を経て
なでしこジャパン・鮫島彩が学んだものとは。

posted2018/11/07 11:00

 
震災、W杯優勝、海外……多くの経験を経てなでしこジャパン・鮫島彩が学んだものとは。<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

PROFILE

photograph by

Kiichi Matsumoto

2011年7月、FIFA女子ワールドカップでの優勝は、東日本大震災の影響が色濃く残る日本に明るさをもたらした。
中心メンバーとして優勝に貢献した鮫島彩は、当時24歳。震災でクラブが活動を自粛したため、単身ボストンへと渡ったなかで掴んだ快挙だった。
あれから7年――。多くの経験を積み、日本代表では精神的な支柱になる一面も増えた。さまざまに変化した環境のなかで、彼女が培ってきたものとは。

 年を重ねて、精神的にすごく変わりましたね。

 ワールドカップのときは頼れる先輩についていって、自分のプレーを出せばいいという思いでした。でも、この年齢になって、この立場に立って、澤(穂希)さんたちはこういう風に見ていたのかなと肌で感じて。改めて先輩たちの行動はすごいものだったんだ、と尊敬しています。

 これは昔から感じていたのですが、私は宮間あやさんとサイドを組むことが多くて。何でもできるあやさんに対して、私にはできないプレーが多すぎて。もっと自分がうまかったら、あやさんはもっといいプレーができるのに、ってものすごく考えていました。でもあやさんは、できる部分を認めてくれて、できないことはカバーしてくれる。怒ったり、どうしでできないのという言葉はひとつもなく、何も言わずにただサポートしてくれた。そういうあやさんの姿を見て、私はもっとうまくなりたいと思うことができた。すごく難しいことですけど、自分が何かを要求するのではなく、若い子たちが自然と感じてくれる、そういう行動ができたらいいなと思っています。

フランスでは自主練して怒られた。

 ワールドカップの後に、フランスのモンペリエに移籍をしたのですが、そのときの経験はすごく大きかったですね。フランスは日本に比べると練習量がすごく少なくて。ロンドン五輪を控えていたこともあって、「こんな練習量で大丈夫なのか」ってすごく不安になって、毎日のように自主練や走り込みをしていました。でも、やろうと思えば思うほど、どんどん調子が落ちていくという状態にはまってしまって。体調が悪いのに、やらなきゃと思うから動きにいく。それでさらにパフォーマンスが落ちるという繰り返しでした。

 自主練をしていたら、チームメイトに胸ぐらを掴まれて「明後日試合なんだから、そんなことやってるな」ってすごく怒られたんですよ(笑)。

 彼女たちはすごくシンプルで、結果を出せばいいと言う考え方。日本だったら練習しなかったから負けたんじゃないかとか考えるじゃないですか。でも彼女たちはそれを言い訳にしない。だから、試合前のアップ中に炭酸飲料を飲んでいることもあるし、練習したらさっさと家に帰っちゃったりする。でも、彼女たちは自分のコンディションを自分で判断して、練習するよりも休んだほうがいい結果を出せると思って行動している。監督からしたら、過程よりも結果を出す選手を使いますよね。日本だったら練習しなかったのに、なんで試合に出るんだってなりがちですけど、海外では結果がすべて。年齢的なこともありますが、変な無理をしないというのは、大切にしています。

【次ページ】 頑張ろうとしている自分を認める。

1 2 NEXT

ページトップ