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山根会長時代に起こったある事件。
井上尚弥を生んだU-15大会が消滅。 

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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photograph byKyodo News

posted2018/08/11 11:00

山根会長時代に起こったある事件。井上尚弥を生んだU-15大会が消滅。<Number Web> photograph by Kyodo News

山根明前会長をめぐる騒ぎで評判を落とした日本ボクシング連盟。ジュニア世代でも問題が起きている。

甲子園のようなものだったのに。

 一方のUJはアンダー・ジュニアの頭文字をとったもので、これは連盟が'12年に立ち上げたジュニアの大会だ。これまで、小中学生ボクサーはどちらの大会にも参加することができ、実際に両大会で優勝を勝ち取る選手もいた。

 新たな通知では、両大会への出場は不可ということになる。ただでさえ実戦で腕を磨く機会の少ないジュニア・ボクシングにあって、選手からみれば主要な大会が1つ消えるのだから大きな痛手である。プロ関係者の1人は次のように嘆いた。

「U-15はいい大会だったと思います。何より全国大会の会場は後楽園ホールです。後楽園ホールは高校球児にとっての甲子園のようなものですから、子どもたちのモチベーションも高めていた。かつてはプロとアマが協力してやれていたのですが……」

 この関係者が指摘するように、実はU-15はプロとアマが協力していた時期があった。アマ側がU-15大会に審判を派遣していたのだ。第5、6回大会では、アマとプロの審判が1試合ずつ交互にレフェリングをした。プロとアマの審判員が立場の違いを超えて同じ大会で協力する姿は、はたから見ても「これはいいな」と感心するものだった。

山根氏はプロアマ交流復活を掲げたが。

 アマの審判員がU-15に派遣された時期は'12年と'13年で、ちょうど山根氏が連盟会長に就任した'11年の直後にあたる。会長就任当初、山根氏が掲げた10の改革案の1つが「長く続いたプロボクシング界との断絶関係をあらため交流を復活させる」だった。

 少し説明を加えると、連盟の故川島五郎前会長はプロとマスコミ嫌いで知られ、プロとの交流は文字通り断絶に近い状態だった。純粋に技術を高める目的でプロとアマの選手がスパーリングをしようとしても、それは極秘に行うのが常識だったほどだ。

 こうした背景があったので、山根氏の打ち出した方針をプロ側も大いに歓迎したものだった。

 ところが、第7回大会になるとアマの審判員派遣は急きょストップする。UJが発足したこともあっただろうが、まだこの時点ではまだ決定的な対立というわけではなく、翌年はプロとアマがU-15とUJの予選の日程が重ならないように話し合い、子どもたちができるだけ多くの試合に出られるように調整した。

【次ページ】 インターハイなどにも出られない。

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