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1人で戦い続け、また敗れたメッシ。
天才が抱えた責任と苦悩の過大さ。 

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藤坂ガルシア千鶴

藤坂ガルシア千鶴Chizuru de Garcia

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photograph byGetty Images

posted2018/07/24 08:00

1人で戦い続け、また敗れたメッシ。天才が抱えた責任と苦悩の過大さ。<Number Web> photograph by Getty Images

ナイジェリア戦での右足シュートはキャリアの中に残るファインゴールだ。それでもメッシはまたW杯に手が届かなかった。

18歳のW杯初陣でいきなりゴール。

 翌2004年、マルセロ・ビエルサがアルゼンチン代表監督を突然辞任した。ビエルサを推薦した張本人として、ほぼ強制的にペケルマンが後任に就いたことは、メッシにとって運命的だった。アルゼンチン代表の監督となったペケルマンは、2006年のドイツW杯に当時18歳だったメッシを連れて行くことを躊躇しなかったからだ。

 メッシは、アルゼンチンにとって2試合目のセルビア・モンテネグロ戦において、途中出場で初めてW杯のピッチに立った。それは75分、アルゼンチンが内容で圧倒し、3-0とほぼ勝利を手中に収めた中での登場だった。

 18歳の若者にとって初めてのW杯という舞台で、いきなりプレッシャーをかけるような起用法は避けるというペケルマンらしい判断である。

 プレー時間こそ短かったものの、メッシはピッチに登場してから13分後、エルナン・クレスポが出したパスに合わせて疾駆。ドリブルからアルゼンチンの6点目となる得点をマークし、世界中のサッカーファンに鮮烈なイメージを焼き付けた。

若きメッシは懐疑的に見られていた。

 しかし準々決勝のドイツ戦、ペケルマンはメッシに出場機会を与えなかった。79分のFWフリオ・クルスの投入で3枚の交代枠を使い切った直後に同点ゴールを許し、そのまま延長戦に突入。結局そこでも決着がつかず、アルゼンチンはPK戦の末に敗退した。

 自分に出場機会がないとわかった瞬間から、メッシはベンチで両腕を組んで不貞腐れ、不満を隠そうとしなかった。

 あの頃のメッシは、母国の人々から懐疑的な目で見られていた。

 アルゼンチンのサッカーファンは、国内リーグでプレーした経験がない選手に対して、愛着を抱かない傾向にある。14歳でバルセロナに渡り、スペインでプロになった「よそ者」を見る目は冷ややかだった。

 そのような状況下でメッシを起用するより、すでにA代表歴の長かったクルスを選んだペケルマンは、大会期間中に19歳になったばかりの若者をベンチに留まらせたあの時の采配を決して後悔していない。

 育成のエキスパートだった彼が、もしあのまま代表監督を続けていれば、すでに完成度の高かったチームの中で、どのようなタイミングでメッシに活躍の場を与えて行くべきか、慎重に見計らいながら適時、適切に順応させていたに違いない。

【次ページ】 「バルサだけでゴールを決める非国民」

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