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昌子源から鳥取の恩師へ届いた返信。
「ポーランド戦、絶対に勝ちます!」 

text by

石倉利英

石倉利英Toshihide Ishikura

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photograph byKazuo Fukuchi/JMPA

posted2018/06/27 07:30

昌子源から鳥取の恩師へ届いた返信。「ポーランド戦、絶対に勝ちます!」<Number Web> photograph by Kazuo Fukuchi/JMPA

吉田麻也とともに日本の最終ラインを束ねている昌子源。レバンドフスキ封じという大きなタスクを担う。

卒業後には食堂へと足を運び……。

 センターバックになる決意を固めた昌子は、守備の基本をイチから学びながら、徐々に力を伸ばしていった。2009年、2年時のインターハイ予選までは控えだったが、全国大会では先発メンバーとなる。

 米子北高校は快進撃を見せ、鳥取県勢としても過去最高となる準優勝の好成績を残した。昌子は、相手の攻めをはね返すプレーが得意な3年生と最終ラインの中央でコンビを組み、危機察知能力を生かしたカバーリングや、速攻の起点となるロングフィードで貢献した。

 これを機に注目の存在となると、3年生になっても成長を続け、鹿島アントラーズから誘いを受けた。城市総監督は「カバーリングは得意だけど、足元のボールに激しく当たりに行けないところがあった。精神面も含めて良いところ・悪いところをすべてスカウトの方に伝えて、それでも『獲得して、育てたい』と言ってもらったんです」と振り返る。

 2011年3月1日、一足早く鹿島の練習に参加していた昌子は、米子北高校に戻って卒業式に出席。式が終わった後に向かったのは、食堂の小川さんの元だった。

「他の選手は友達と騒いだりしていたけど、昌子くんは仲間2人を連れて、あいさつに来てくれました。礼儀正しくて、律儀な子。『プロで頑張るよ!』と言ってくれた優しさが忘れられません」

プロ1年目には母校の円陣に参加。

 鹿島に進んでからも時折、鳥取に帰ってきた。プロ1年目の2011年には、ヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝でベンチ入りして優勝を経験した翌日、高校選手権予選決勝に臨む母校の応援に訪れ、試合前の円陣にも参加。旧知の関係者にプロでの様子を聞かれると、「試合に出られなくても、練習のレベルが高いから、めちゃくちゃ成長してますよ!」と声を弾ませた。

 やがて鹿島で不動の存在となり、2014年からは日本代表にも選ばれるように。昨年8月のワールドカップ最終予選・オーストラリア戦では先発フル出場し、2-0の勝利と予選突破に貢献した。

【次ページ】 セネガル戦でも起点の縦パスが同点弾に。

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