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オタメンディと尻を蹴り合った仲!?
母国アルゼンチン優勝を願うJ戦士。 

text by

杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2018/06/20 08:00

オタメンディと尻を蹴り合った仲!?母国アルゼンチン優勝を願うJ戦士。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

アイスランド相手にドロー発進となったアルゼンチン。エスクデロ競飛王やラリベイらの願いはかなうだろうか。

オタメンディはめちゃくちゃ激しかった。

 叔父のオズバルドは、マラドーナとともに'79年ワールドユース(現U-20W杯)を制したメンバーだ。間近で見たスーパースターの超絶プレーからロッカールームでの知られざるエピソードなど、何でも教えてくれた。知れば知るほど“セレステ・イ・ブランコ(アルゼンチン代表の愛称)”への愛は深まり、毎回のように優勝を願って止まない。

 ロシアW杯のメンバーには10歳から13歳までベレス・サルスフィエルドの下部組織でともにプレーした同じ'88年生まれの友人がいる。練習場まで一緒にバスで通い、2人でよくふざけ合ったりもした。いきなり太ももを叩かれれば、仕返しに尻を蹴り上げた。トレーニング中にはFWとDFで激しくやり合った。

「(ニコラス・)オタメンディは、昔からめちゃくちゃ激しかった。いまとスタイルは変わっていない」

 練習中にシャツを引っ張られたまま、スライディングタックルで倒されたことは、今でもはっきりと覚えている。ピッチに転がっていると、先に立ち上がったオタメンディから見下ろされ、「なんだお前、文句あるのか」とけんか腰ですごまれた。

「あんなタックルを受けたのは、後にも先にもあのときだけ」と懐かしそうに笑う。マンチェスター・シティのセンターバックとして、押しも押されもせぬ世界のトッププレーヤーとなった旧友へ「W杯でも頑張ってほしい」とエールを送っていた。

アグエロとは得点王を争ったことも。

 同じ'88年生まれのセルヒオ・アグエロとの思い出も蘇る。AFA(アルゼンチンサッカー協会)主催の13歳のリーグ戦で切磋琢磨し、得点王を争ったこともある。

 当時、アグエロはインデペンディエンテの下部組織のエースで、ライバルでもあった。父の仕事で日本に渡ることが決まっていたエスクデロにとって、アルゼンチンでの最後の試合が、インデペンディエンテとの対戦だった。

「アグエロ1人に5点取られ、0-5で負けて……。あのときから化け物だった。センターバックにオタメンディもいたのに、ちんちんにやられたから」

 ロシアW杯のアイスランド戦で先発していた屈強なCBと豪快な先制ゴールを決めたストライカーの少年期を知る男にとっては、母国の代表はそれほど遠い存在でもないようだ。

【次ページ】 ラリベイらも「メッシが輝き、優勝する」

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