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<歩みをとめない者たち>
澤穂希がサッカーと家族に捧げる“全力”人生。

posted2018/06/28 11:00

 
<歩みをとめない者たち>澤穂希がサッカーと家族に捧げる“全力”人生。<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph by

Nanae Suzuki

 澤穂希は、長い現役生活を力強く駆け抜けた。

 15歳から20年以上にわたってサッカー日本女子代表の一員として戦い、6度のワールドカップ出場と4度のオリンピック出場を果たした。挫折もあった、栄光もあった。歩みをとめることなく進んだ先に「サッカーをやり尽くした」境地に達した。

 2015年シーズン限りで引退を表明した。ラストゲームとなった皇后杯決勝戦で勝利を決めるゴールを挙げ、彼女らしく華々しく現役生活に幕を下ろした。

 ピッチを離れてから2年半が経つ。愛娘が誕生してすっかりママとなった澤は、ボールを蹴りたくなる衝動に駆られたことがないという。

「サッカーしたいなって、そういう気持ちにはまったくならなくて(笑)。昨年も後輩たちから来シーズンの相談とか受けたんですけど、『悩んでいるってことはやりたいってこと。どんな選手にも必ず引退はやって来る。もうボールなんて蹴りたくないってやり切ってやめたほうが絶対にいいよ』と伝えています。私はまったく迷わなかった」

 すべてをサッカーに捧げてきたからこそ、サラッと笑って言える。

ピンチに屈しないサッカー人生。

 感動を呼んだ2011年夏、女子ワールドカップドイツ大会での優勝劇。

 大会MVP、得点王を獲得して優勝の立役者となった澤は、大会の半年前に大きな決断を下していた。

 2010年シーズンを、前半はアメリカのワシントンで、後半はベレーザで過ごした澤は、ドイツ大会を半年後に控え、日中に落ち着いてトレーニングできる環境をINAC神戸に求めた。中学以来、アメリカのチーム以外はベレーザ一筋で過ごしてきただけに、悩みに悩んだ。ワールドカップを見据えて神戸行きを決めるこの決断が、運命を好転させていく。

「環境面は仕方ないところがあるんですけど、ベレーザでは練習が午後6時半からで、終わって自宅に戻って日付が回ってから寝るという感じでした。それがINACでは太陽が出ている明るい時間帯にサッカーができて、夜は自分でご飯をつくって早めに体を休めることができた。そういう環境になったのは、私にとっては凄くプラスになりました」

 ピンチに屈しない。ピンチにひるまない。

 それは澤のサッカー人生そのものかもしれない。

 20歳のときに大学を中退してアメリカのプロリーグに飛び込んだが、リーグは資金難に陥って3シーズンで閉幕。すると日本に戻ってその経験を還元していく。2004年のアテネ五輪アジア予選の北朝鮮戦では、右ひざ半月板損傷を負いながらも痛み止めの注射を打って、本大会行きを決めている。アテネ五輪はベスト8、そして2008年の北京五輪はメダルまであと一歩の4位。彼女は常に先頭に立って、なでしこジャパンを引き上げてきた。

【次ページ】 W杯優勝という神様からのプレゼント。

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