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イタリア新時代を託されたマンチーニ。
バロテッリ復帰と若き才能たちの登用。 

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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posted2018/06/13 10:30

イタリア新時代を託されたマンチーニ。バロテッリ復帰と若き才能たちの登用。<Number Web> photograph by Getty Images

インテルでデビューさせ、マンチェスター・シティではともに優勝を勝ち取ったバロテッリを、新監督マンチーニは4年ぶりに代表復帰させた。

「練習でいかに手を抜くか、狡猾さの証」

 才気にあふれていた若き日のマンチーニは“やんちゃ”でも知られていた。「若い頃の自分は練習でいかに手を抜くか、それが狡猾さの証だと思っていた」と後に述懐している。

 マンチーニがなぜ代表で大成できなかったのかを示す有名なエピソードがある。

「NYナイトライフ事件」だ。

 '84年5月、北米遠征を行ったイタリア代表に20歳になる前のマンチーニが招集された。当時の代表監督は泣く子も黙る'82年スペインW杯優勝監督ベアルゾットで、トロントで行われたカナダとの親善試合がマンチーニにとって記念すべきA代表デビュー戦だった。

 大願叶った喜びで羽目を外したくなったのか若気の至りか、マンチーニは試合後代表のホテルを抜け出すと500km以上離れた花の大都会ニューヨークへ車を飛ばした。門限など完全無視でマンハッタンでのナイトライフを満喫した後、ホテルへ戻ったマンチーニに代表監督ベアルゾットは冷淡だった。

「二度とお前を代表には呼ばない」

 A代表に復帰できたのは後任にビチーニが就き、事件から2年半近くが過ぎた後だ。

バッジョの控えはマンチーニでなくゾラ。

 その後、アメリカW杯に向けて就任した名将サッキはプレッシングという重労働を要求した上に、本物の天才バッジョのバックアッパー役として気紛れなマンチーニではなく、勤勉な性格のゾラを選んだ。当時のイタリアには前線の才能が雨後の竹の子のように次々に出現していた。

 サッカーは運動量と献身性の時代に突入しようとしていた。心身の研鑽を怠った者が付け入る隙はなかった。

 才能に溢れながら代表で十分なチャンスを与えられなかった、という悔恨がマンチーニにはあるのではないか。

 彼は代表監督としての最初の3試合でMFポリターノ(24歳)やFWベラルディ(23歳)、DFカルダーラ(24歳)ら5人の新人をデビューさせた。

 国際経験に乏しいイタリアの若手選手たちにチャンスを与え、これから辛抱強く成長させるのだ。自分が辿った寄り道はさせられない。

【次ページ】 W杯で見たかったオランダとの熱戦。

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