ROAD TO THE DERBY 2018BACK NUMBER

父はダービー2勝の偉大なジョッキー。
大竹正博と相棒ブラストワンピース。
 

text by

平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

PROFILE

photograph byYuji Takahashi

posted2018/05/09 07:00

父はダービー2勝の偉大なジョッキー。大竹正博と相棒ブラストワンピース。<Number Web> photograph by Yuji Takahashi

中長距離を意識したローテーションで3連勝。ブラストワンピースは万全の状態でダービーに挑む。

3週間あれば万全で迎えられる。

 この後、ノーザンファーム天栄に放牧に出され、ぶっつけでダービーに臨むのは予定通り。

「毎日杯の前から『勝てばぶっつけでダービーへ』というプランを立てていました。

 ダービーから逆算して5月3日には美浦に帰厩させました。3週間あるのでウッドで3本、坂路で3本、追うことができます。万全の状態で本番を迎えられるはずです」

 こう語る指揮官のダービーに対する想いは強い。もっとも、元からそうだったわけではない。大竹の父は元騎手だったが、自らがこの世界に入るまではダービーの凄さに気付いていなかった。

「“ここまで”凄いとは思っていませんでした。実際にこの世界で働くようになってから、皆が目指しているのになかなか手が届かないことが分かり、次第にダービーの素晴らしさを痛感するようになりました」

ダービーの舞台に立つまでに20年。

 萩原清厩舎で調教助手をしていた時代には、ロジユニヴァースが2歳で入ってきた。しかし同馬がダービーを制した時、大竹はすでに調教師試験に合格した後で、厩舎を出ていた。だからダービーで有力馬と目される馬に携わるのは今回が初めてとなる。

 しかし……。先述した通り彼の父は騎手だった。事情があって苗字が変わったが、オールドファンには懐かしいであろう大崎昭一がその人だ。大崎は1969年にダイシンボルガードで、1981年にはカツトップエースで、いずれも日本ダービーを制している。父が初めてダービーを制した時、母親のお腹の中にいた大竹は言う。

「自分はダービーの舞台に立つだけでも20年以上かかりました。今、改めて父の偉大さが分かりました」

 偉大な父に少しでも近づくために、自らも日本ダービーを制したい。彼のブラストワンピースの走りに懸ける想いは強い。

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大竹正博
ブラストワンピース

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