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新人調教師がいきなり挑むクラシック。
ケイティクレバーと安田翔伍の“縁”。

posted2018/04/04 07:30

 
新人調教師がいきなり挑むクラシック。ケイティクレバーと安田翔伍の“縁”。<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

35歳と調教師としては若手に入る安田翔伍氏だが、馬とのつき合いは長い。いきなりのクラシック制覇が実現するのだろうか。

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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Satoshi Hiramatsu

 すみれS2着から来週末のGI皐月賞に出走を表明しているのがケイティクレバーだ。
 同馬は前走まで目野哲也厩舎に所属していた。しかし、同調教師が2月末をもって定年で厩舎を解散したことから新規開業調教師の安田翔伍厩舎に転厩した。安田からすると、開業していきなりクラシックに挑戦できることになったわけだ。今回はこの新調教師の話を中心に紹介していきたい。

 1982年7月8日生まれの安田翔伍。父はダービージョッキーで現在は調教師の安田隆行。幼い時にもらったお年玉で鞭を買うような子供だったと言う。

「父がトウカイテイオーに騎乗して、日本ダービーを制したのは僕がまだ8歳の時でした」

 その3年後に隆行は騎手を引退した。

「最後の騎乗を観に競馬場まで行きました。泣きながら自分もこの世界に入りたいと決意したのを覚えています」

中学3年で競馬学校に不合格。

 中学3年で競馬学校騎手課程を受験するも不合格。高校に通っているうちに体が大きくなり騎手試験は断念。それでもこの世界に入りたい気持ちが萎えることはなく、高校を中退して、牧場で働き出した。

「父にノースヒルズの前田幸治社長を紹介していただき、牧場で働かせてもらいました」

 その後、アイルランドの厩舎でも約5カ月働いた。'99年の秋に帰国するとノーザンファームで汗を流し、3年後の2002年、競馬学校に入学。'03年の2月から栗東・安田隆行厩舎で調教助手となった。

 その翌年の秋のことだった。今でも忘れられない馬との出会いがあった。

「とんでもない素質を感じさせる馬でした」

 その馬は名をフィフティーワナーといった。

【次ページ】 才能を発揮させられなかった苦い記憶。

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