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オシムと羽生直剛の師弟関係は今も。
「出会えた奇跡が嬉しいし、怖い」 

text by

飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2018/03/10 08:00

オシムと羽生直剛の師弟関係は今も。「出会えた奇跡が嬉しいし、怖い」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

インタビュー取材に応じてくれた羽生直剛。朗らかな笑顔が印象的だった。

いつも全力でやってきたのは確か。

――FC東京がJ2を戦った2011年5月の試合ですね。途中出場して起死回生の決勝ゴールを奪って、ヒーローインタビューで涙を流した伝説の試合(笑)。

「ハハハ。あれは本当に大きいゴールだったと思いますね。あまり試合に出られていなくて、もうダメかな、という状況で、でも、このままじゃ終われない、と思っていたときに生まれたゴール。サッカー人生が懸かっているからものすごく集中していたし、ものすごくプレッシャーを感じていたのも覚えています」

――これでダメなら、もう終わるなって?

「ヤバい、ヤバいって自分にプレッシャーを掛けて、あまり寝られない、みたいな(苦笑)。ただでさえ僕は緊張しいだから、試合が楽しみだと思ったことがないんですよ。緊張感、危機感の中でずっとやってきた気がします。ただ、不思議と節目で結果を残せてきた。そういう運の強さはあったと思います」

――でも、運の強さだけではないでしょう?

「どうなんですかね。ただ、いつも全力でやってきたのは確かかもしれないですね。一生懸命やっていれば、どこかでチャンスが来るし、そのチャンスを掴めるかどうかは、日頃の行い次第だと思ってやってきた。それでサッカーの神様が微笑んでくれなかったら仕方ない(苦笑)。そのスタンスを大事にしてきたし、それは辞めてからも大事にしたいと思っています」

――では、最後にこれからの話ですが、オシムさんをはじめ、錚々たる顔ぶれの監督のもとでプレーしてきて、サッカーの奥深さを学んだのだから、今度はそれを伝える立場になると思っていました。ところが、強化部のスカウト担当になられた。

「まずは、もう汗をかきたくなくて(笑)」

――散々かいてきたから(笑)?

「はい。とりあえず一回、ジャージを脱ぎたかったんです(笑)。これまでずっとボールを追いかけてきて、ポジショニングがどうとか考えてきて、それでコーチになってまたピッチで選手たちに『ああだ、こうだ』と言うのがしんどそうで、一回離れたかった。伝えるのって大変じゃないですか。また疲れちゃうかなって」

――でも、スーツを着て、一から学ぶのも大変ですよ。

「そうなんですけれど、クラブがどう成り立っているのか、まるで分かっていないから勉強したかったんですよね。これまで広報の方がどんな仕事をしているのかよく知らなかったし、ホームゲーム前とかに駅前でチラシを配っていることとか、試合開始前にスタンドの椅子を拭いていることとかも、よく分かっていなかった。

 選手として日の当たる場所にいたけれど、支えてくれる方たちがいるから、プレーに集中できる。だから、強化部の一番下で修業させてもらいながら、チャンスがあればチラシを配ったり、椅子を拭いたり、なんでもやろうと思っていて」

【次ページ】 「羽生と仕事したい」となるように。

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