“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
CBとFW両方の才を持つ田上大地。
長崎でJ1初ゴールを決めた必然。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2018/03/03 07:00
J1の舞台で初ゴールを決めて喜ぶ田上。チームメイトとよく練習していたパターンだったそうだ。
“ストライカー田上”としてインターハイを席巻。
インターハイにおける一番のインパクトは、3回戦の松山工業戦だった。
2回戦の座間戦でハットトリックを達成し、“ストライカー田上”として勢いに乗ると、MF松下佳貴(現・ヴィッセル神戸)擁する相手に、前線で身体を張ったポストプレーを見せた。そして、9分には左からのクロスを高い打点のヘッドでゴールに突き刺し、2試合連続のゴールを決める。
この決勝点で準々決勝進出を決めると、準々決勝の新潟明訓戦でも3試合連続ゴールをマークした。
チームは準決勝でGK福島春樹(現・浦和レッズ)、DF木本恭生(現・セレッソ大阪)、MF米田隼也(現・V・ファーレン長崎)らを擁する静岡学園に後半アディショナルタイムに勝ち越しゴールを許してベスト4に終わったが、田上は優勝した桐蔭学園の選手と並んで得点王に輝いた。
「FWになっても僕のやるべきことは変わらない。ひたすらボールを追いかけて、チームのために身体を張り続ける。僕は決して上手い選手じゃないし、エリートでもない。試合に出られるならどこでも良いし、FWとして出る以上、数少ないチャンスを確実にモノにできる選手にならないといけない」
徐々にストライカーとしての存在感が薄く……。
田上はその後も、不慣れなポジションにも文句ひとつ言わず、チームのために身体を張りながら黙々とプレーし続けた。
この年から始まった高円宮杯プレミアリーグイーストでも彼はゴールを量産し、終わってみればチームナンバーワン。得点ランキングでも4位タイにつける9ゴールをマークしていた。
その後、流通経済大に進学するとFWとして戦力に数えられ、前線で身体を張るプレーを続けた。しかし、相手DFのレベルが上がったことで、徐々にストライカーとしての存在感が失われていったのだ。
その一方で、自分が高校時代にレギュラーから押しのけた呉屋(当時・関西学院大)、CBにコンバートさせた宮本(当時・早稲田大)がFWとしてゴールを重ねる姿を目の当たりにして、FWとしての自分に大きな疑問を抱くようになった。
そして、そのもやもやに答えを出す時が大学3年のときに訪れた。