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星野仙一、最後の提言。
「競技普及のために野球くじの導入を」 

text by

小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byMasaki Fujioka(Shogakukan)

posted2018/03/01 11:40

星野仙一、最後の提言。「競技普及のために野球くじの導入を」<Number Web> photograph by Masaki Fujioka(Shogakukan)

球団監督時代から球界を広く見渡し、将来に向けての提言が多かった星野氏。北京五輪日本代表の監督も務めた。

「八百長できん方法を考えようや」

 1969年に入団した星野さんは、2年間だけ王貞治への「背面投球」で名をはせた小川健太郎とチームメートだった。抜群の野球センスで勝ち星を重ねた「健さん」はある日突然いなくなった。博打好きがたたり最後は自らオートレースの八百長を仕組み、逮捕されたからだ。「黒い霧事件」への関与も疑われたが、野球賭博については全面否定した。それでも球界を追われるには十分な理由だった。スポーツと賭博が結びつく怖さを目の当たりにしたのだ。競技普及の財源ほしさに安易な賛成票を投じたわけではない。

「八百長できん方法を考えようや。いくらでもあるだろう? 子供にも参加してもらおう。もちろんお小遣い程度や。ホームラン王は誰? 最多勝はどの人? 大人にはもっと深いものをやってもらったらええ。シーズンのライト前ヒットは何本になるかってな。そんなもん、八百長で数字を合わせられるわけがない」

 一般的にはサッカーの「BIG」のような勝敗だが、非予想型が妥当だと言われている。星野さんの考えがそこに止まっていないのは、いろいろな人に「今日のあの選手はどうだった?」という興味をもってもらいたかったからだ。

底辺を広げなきゃ野球界に未来はない。

「絶対に底辺を広げなきゃ、野球界に未来はないぞ。野球界が一致団結して、V9時代のように野球が愛されるようにしなきゃならんだろう」

 ドラゴンズのお膝元、愛知県ではよく「三英傑」と言われる。すなわち織田信長、豊臣秀吉、徳川家康だ。監督時代、番記者との雑談でよく「信長も秀吉もオレと同じ時代に生まれんでよかったな」と笑っていた。何度もあったであろう国政選挙への出馬依頼も「オレが出りゃ、大臣のイスの1つや2つは座っとったわ」と相手にしなかった。

 星野さんの夢は天下人でも大臣でもなかったのだ。この提言の土台は昨年1月の野球殿堂入りスピーチでも話していたが、筆者が聞いたのは夏あたりだった。つまり、星野さんは自分の命がそう長くないことを知っていた。時間がない。だから折を見ては自分の考えを伝えておきたかった。そのときは気づかなかったが、今となっては筆者はそう受け止めている。

 日本をかつてのような野球の国にしたいというのが星野さんの最後の夢であり、残念ながら遺言となった。残された人間にできるのは、この言葉に耳を傾け、安全な「野球くじ」を考えてみることだと思う。

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星野仙一

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