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増嶋竜也が“柏以上の地元”千葉へ。
「小学生の頃ジェフのユニで……」 

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塚越始

塚越始Hajime Tsukakoshi

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photograph byJ.LEAGUE PHOTOS

posted2018/02/02 11:00

増嶋竜也が“柏以上の地元”千葉へ。「小学生の頃ジェフのユニで……」<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

ジェフにとっても、増嶋竜也の加入はJ1昇格への大きな推進剤になるはずだ。

地元の柏でタイトル獲得、そしてさらなる地元千葉へ。

 そして2004年、FC東京に入団。ただリベロタイプの増嶋は、高さと守備の強度をより求める当時のFC東京のセンターバックとして、出場機会をなかなか掴めない。徐々に出場時間を増やしていったが、'07年に最初の移籍を決断。そこからヴァンフォーレ甲府で戦闘本能を研ぎ澄まし、京都の3年間で実績を積み上げプロとしての自覚を一段と強めた。

 その間には、最大の目標だった北京五輪代表の落選という悔しい経験もしている。

 それでも山あり谷ありの様々な経験をCBとしての糧にし、逞しく成長していった。あらゆるシステムや状況に対応できる柔軟性も身に付けた増嶋は、2011年から'16年まで柏に在籍し、3年連続タイトル獲得を果たす黄金時代を築いた。

 そして今季、柏よりもさらに「地元」である千葉で今季を過ごすことになった。

「ジェフのユニフォームで練習してましたからね」

 小学生の頃の増嶋は、当時のジェフのホームスタジアムだった市原臨海競技場(ゼットエーオリプリスタジアム)まで自転車で頻繁に通っていたという。

「よく行っていましたよ、自転車で行ける距離でしたからね。新村(泰彦)さん、パベル(パベル・ジェハーク)、オッツェ(フランク・オルデネビッツ)、そしてリティ(ピエール・リトバルスキー)がいた、あの時代です」

 Jリーグが社会現象を起こした時代。城彰二が活躍する前の代表的な日本人ストライカー新村の名前を挙げるあたり、立派な“サポーター”であったことを感じさせる。同時に地域密着を謳うJリーグが20年以上かけて生み出した、1つの新たな人の流れとも言える。

「小学生の頃にジェフのユニフォームを着て練習をしていましたからね。そのユニフォームにこうして袖を通す日が来るなんて、何だか不思議な気持ちがします」

 しかも、ファンやサポーターではなく、憧れたジェフの選手として、である。

 プロ入りから14年間戦ってきたJ1でプレーすることが第一希望だった。それでも「いろんな条件とか、いろんな契約がありますけれど、今回はまずやり甲斐を一番に優先して決めました」と増嶋は千葉入りの真相を明かす。

 しかも高校、FC東京、柏時代につけた、愛着のある背番号「5」まで用意されたところに、クラブからの期待の大きさも感じた。

【次ページ】 千葉のスタイルとの相性、そして旧知の仲間たち。

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増嶋竜也
ジェフユナイテッド千葉

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