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齋藤学の思いを聞き続けた1年間。
マリノスファーストだった男の決断。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byJ.LEAGUE PHOTO

posted2018/01/25 11:30

齋藤学の思いを聞き続けた1年間。マリノスファーストだった男の決断。<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTO

齋藤学がマリノスで出場した試合の数は、247にのぼる。

「勝負したいっていう気持ちが強くなったんです」

 1月12日、衝撃の移籍は発表された。F・マリノスの公式サイトに、彼の思いがつづられてあった。

≪昨年、キャプテン、10番と責任をもらいながらも、不甲斐ないプレーや満足のいく結果を残せない僕に、たくさんの声援を送っていただいたこと。9月の大怪我の際も、本当にたくさんの声、手紙、千羽鶴、ビックユニフォーム。本当に本当に勇気付けられ、辛いリハビリも日々続けてこれました。この移籍は、その恩を仇で返してしまうことになってしまいました≫

 この発表を受けて、リハビリ中の彼に接触を図った。断腸の思いであることは、重々伝わってきた。≪恩を仇で返す≫との表現も「復帰のピッチには、マリノスのユニホームを着て立ちたい。その思いでリハビリをやってきたから」だった。1年経ってあらためてクラブの強化方針や自身の評価、チームに対する評価を聞いた。フロンターレからの評価も聞いた。いろんなものを胸に入れて、自分の声に耳を傾けようとしたという。

 海外に挑戦したい、ワールドカップに行きたい。思えばそう願うのは「勝負したい」というアスリートとしての本能に従うもののはず。彼は思いを吐き出すように言った。

「マリノスは大切な場所です。8歳から、ずっとやっているんですから。ただ、甘えちゃいけない。僕が(ケガで)離れても、チームは闘って、タイトルまであと一歩のところまできた。僕がいないと成り立たないというチームじゃない。

 結論を出したのは天皇杯決勝の翌日(1月2日)。サッカー選手って、結局孤独な戦いだと僕は思うんです。成長があって、自分の価値を高めていくためにはどうしていくか。フロンターレという初めての環境に行って、自分のポジションをつかみ取りたいと思うようになった。27歳でもう一度、その勝負をしたいっていう気持ちが強くなったんです」

 悩みに悩んだ?

 筆者がそう尋ねると、今度ばかりは首を横には振らなかった。

思い切った決断は、ドリブラーらしくもある。

 批判は覚悟のうえ――。

 10番とキャプテンを背負って、チームを良き方向に導こうと真っ向から逃げずに闘ってきたからこそ芽生えた感覚。

 誰も否定はできない。横浜F・マリノスが沈む太陽ではなく、浮かぶ太陽に航路を切れたのには、齋藤学の働きがあったことを。

 しかしまあ、随分と思い切った決断をしたものだ。

 知人のサポーターから「海を渡るんじゃなくて、川を渡るのかよ!」とツッコミも入った。

 しかし、しかしだ。

 一か八かで挑んでいくのは、果敢に勝負に挑むドリブラーらしくもある。

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