“燃える闘将”星野仙一さんの思い出を語ってください。

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 2018年1月4日、星野仙一さんが膵臓がんで亡くなられました。  選手としても監督としても闘志を隠さない姿で多くのファンに愛され・・・続きを表示

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  • 小学6年時、修学旅行先の宿で槇原投球→バンスロー立腹→星野監督激怒の一部始終を観ていました。主目的はウッチャンナンチャンのバラエティ番組でしたがその番組内で乱闘の様子が放送されていた記憶があります。

    ディープインパクトさん2018/01/10 21:49に投稿

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    そう思う!
  • あえて辛口に。
    アメリカから来た審判を恫喝したことが、印象に残っている。
    子ども心にも日本人として恥ずかしい、と思った。
    闘志の出し方を間違えてはいかん、と言うことを学びました。

    karinさん2018/01/10 23:53に投稿

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    そう思う!
  • 落合を巨人に行かせまいと断行したロッテとの1対4や、そのライバル巨人との西本⇆中尾のトレードなどが斬新でした。腐りかかっていた西本と中尾は新天地で復活したし、ロッテに行った牛島も、あのトレードがなかったら今の自分はなかったと述懐してますからね。

    taruzakeさん2018/01/12 08:32に投稿

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    そう思う!
  • ドラゴンズの監督時代が一番印象に残っています、勝つことに飢えていたような気がします。選手時代の打倒巨人の姿も良かったですが監督としてドラゴンズを全国区にしてくれたのは、間違いなく星野さんです。阪神に行かれた時もさびしさはありましたがドラゴンズ監督としての実績が評価されたと嬉しかったですね、また五輪監督時も川上・岩瀬を起用した時は、やっぱりドラゴンズの選手のほうが使い勝手がいいんだなとも感じました。監督としての選手起用などを見ていますと類まれな演出家・プロモーターだと思います。
    ドラゴンズのことがおそらく一番気にされながら逝ってしまわれたのではないかと思います。謹んでご冥福をお祈りします。

    1993teioさん2018/01/17 16:58に投稿

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    そう思う!
  • ドラゴンズの2回目の監督の時に、1996年~1998年の間、タイトルは忘れましたが今でいうブログ記事を毎日更新されていたのを想い出します。内容はその日の試合の振り返りや読者からの質問への回答などでした。私も当時スポーツ選手に流行り始めていた「試合を楽しみます」というコメントをどう思うか聞いたところ、「すごく違和感がある」と回答をいただいたことがあります。最も印象に残っているのは、奥さんが亡くなった日も記事を更新されたことです。担当者の方に「今日は休みましょうか?」と聞かれたが、「こういう時こそ更新しないと意味がない」と言われ、むちゃくちゃ寂しいとコメントされていました。当時からメディアの本質をよく分かっておられ、ひいてはファンを大切にする方だなと思っていました。亡くなられて、本当に寂しいです。

    スローハンドさん2018/01/24 12:28に投稿

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    そう思う!
  • 選手としての現役時代は残念ながら存じ上げません。VTRだけですね。
    監督としても、やはり中日時代が一番印象的です。
    ナゴヤ球場で試合に負けて扇風機を壊した場面。
    時に、涙をにじませて選手を迎えたり、インタビューに答えたりする場面。
    あの「あつい」(熱い闘志・情に厚い)人が上司なら頑張りたいと思わせる、思いたくなる選手がたくさんいらっしゃるのもわかる気がします。
    無念さもたくさんあると思いますが、今はゆっくり休んでいただいて、天国で奥さんと会えてたらいいですよね…。

    するのは苦手見るのは得意さん2018/01/10 23:15に投稿

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    そう思う!
  • もう30年近く昔の話ですが、一度だけ食事をご一緒させて頂きました。
    想像以上のオーラ、威圧感を感じましたが、食事中の会話や気配りには凄く魅了されたました。
    当時、若かった私は『どうしたらこうゆう男になれるのだろう・・』と考えた事を今でも覚えています。

    カメさん2018/01/16 10:37に投稿

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    そう思う!
  •  鉄拳制裁も辞さない指揮官ぶりが印象に残っています。自身の野球観に明大の師、島岡御大の代打、救援に、「なんとかしてこい」と送り出した姿があり、自身が巨人戦に見せたような気迫を、選手に求めた結果だっただろうと思いました。

    手許 不如意さん2018/01/17 17:13に投稿

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    そう思う!
  • 第二次星野政権だったと思いますが、投手陣の秋季キャンプが愛知県田原市のとある運動公園で行っていた時がありました。
    営業職だったので先輩と仕事の都合をつけて数回訪問。3回目にして星野監督と初遭遇。過去2回見た時の選手は明るく楽しいキャンプでしたが星野監督が来た3回目の空気の張りつめた感じと選手の目の色の変化が未だ忘れられません。
    星野監督がユニフォームではなくワインレッドのスウェットの上下で現れたので更に驚きました。

    Sugiさん2018/01/18 19:56に投稿

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