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最後に決まったのは4年以上前……。
三浦淳寛が推す代表のFK候補者は。 

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松本宣昭

松本宣昭Yoshiaki Matsumoto

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posted2018/01/04 11:30

最後に決まったのは4年以上前……。三浦淳寛が推す代表のFK候補者は。<Number Web> photograph by AFLO

日本代表が最後に決めたフリーキックは、2013年9月6日の遠藤保仁。4年以上の沈黙を打ち破るのは誰になるか。

「ヒデも、伸二も、俊輔も、ヤットも、満男も」

 最近の日本代表戦で、本田が出場していない場合、ゴール前のFKでキッカーを務めるのはセンターバックの吉田麻也だ。攻撃的なポジションの選手が、積極的に蹴りたがる光景はほとんどない。その原因を、三浦氏は「練習量」だと断言する。

「普段から所属クラブで練習していなければ、プレッシャーのかかる日本代表戦で『蹴りたい』とは言えません。練習で培った自信がなければ、『大観衆の前でミスしたらどうしよう』という発想になる。僕が代表のころは、ヒデ(中田)も、伸二も、俊輔も、ヤットも、満男も、全体練習の後に、みんな自主的にFKの練習をしていました。

 裏を返せば、日本代表に選ばれるほどの技術を持つ選手は、練習さえすれば狙ったところに蹴れるようになる。毎日地道にキックの練習をすることで、軸足を置く位置、振り足の角度、インパクトの感覚などがつかめてくる」

ブレ球FKを発見した、国見高時代の偶然。

 三浦氏がゴールを決めた'99年ペルー戦のFKの場面も、その横には中村俊輔が立っていた。FKのスペシャリストが何人もいた当時、キッカーはどのようにして決めていたのか。

「キッカーを巡って言い争うようなことはほとんどありませんでした。ゴールまでの距離と角度によって、どの選手が得意なコースなのか、お互いに把握していましたから。普段から一緒に練習して実力を知っているからこそ、お互いを認め合っている。逆に、練習していない選手が『蹴りたい』と言っても、説得力がないんです」

 三浦氏の代名詞ともなった「ブレ球FK」も、普段の練習の賜物だった。国見高時代、ゴールマウスが描かれた壁に向かって、ひとり黙々とキックの練習を続けているときだった。インステップキックがダフり、つま先は地面の土を派手に削った。ところがボールは、今まで見たこともないような変化をしながら壁に向かって飛んだ。

「今のボールは、なんだ!? って、すぐにスパイクを脱いで、ボールが当たった場所を確認したんです。ここでインパクトしたのなら、軸足をここに置いて、こういうふうに固定すればいいんじゃないかって研究することで、ブレ球が蹴れるようになったんです」

【次ページ】 キックに対する意識の低下がリフティングにも?

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