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ペトロヴィッチ式は札幌に合う?
浦和での5年半に見る魅力と危うさ。 

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塚越始

塚越始Hajime Tsukakoshi

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photograph byGetty Images/J.LEAGUE

posted2018/01/02 08:00

ペトロヴィッチ式は札幌に合う?浦和での5年半に見る魅力と危うさ。<Number Web> photograph by Getty Images/J.LEAGUE

解任されたとはいえ、浦和で一定の評価を得たミシャ。北の大地で魅惑のスタイルを作り上げられるか。

メンバー固定のイメージは正解でも間違いでもある。

 そして札幌はミシャにとって、因縁のチームである。2012年、すでにJ2降格が決まり6連敗中だった札幌にホームで完敗を喫して、事実上逆転優勝への望みを絶たれた。さらに今季、札幌ドームで敗れた夜、ミシャは解任を宣告されている。

 ただ「私は元来のオプティミスト」と言ってはばからないプラス思考の持ち主である。ミシャの発想からすれば、痛恨の敗戦がむしろ今回の縁につながったと捉えているのだろう。

 札幌はこれまで若手とベテランが結束して戦ってきたが、これというスタイルを確立できずにきた。ミシャとともに「ポゼッション=試合をコントロールする」チームの土台を作りたい――。就任までの迅速な対応には、そんな札幌の強い決意が感じられる。

 チーム作りの面についても考えてみる。連係を重視するミシャは主力をなかなか変えたがらないと言われる。それは当たっているし、間違ってもいる。メンバー固定の傾向はポジションによるのだ。そこから鍵を握る人材も浮かんでくる。

 浦和就任1年目の2012年のこと。キャンプ中の練習試合では、当時2年目の小島秀仁が常に主力組のボランチで使われていた。レスターから復帰した阿部勇樹とコンビを組ませて、小島が攻撃のアクセントをつける役割を担う。その意図は明確に伝わってきた。

「頭と足の両方を同時に機能させなければいらない」

 しかしシーズンが開幕すると、阿部とコンビを組んだのは13年目の鈴木啓太だった。

 小島は攻撃面で非凡な才能を見せていたが、守備面や献身性でややアピールが物足りなかった。そこでミシャがチームのバランスを見てボランチに求めたのは、誰よりもチームのために汗をかける鈴木啓太だった。

 2010年に出場機会を大幅に減らし、'11年に降格一歩手前までチームが低迷したことに責任を感じ、「もうサッカーを辞めたほうがいいのか……」とまで思い詰めていた鈴木は期待に応えて復活を遂げる。病を患う2015年まで不動の地位を築いた。

 そのエピソードと結びつくが、ミシャは起用条件の1つに、こんなことを挙げている。

「走ることと考えること。頭と足の両方を同時に機能させなければいけない」

「走ること」とはチームのために、勝利のために汗をかくこと。「考えること」とはその効率であり、素早い判断であり、修正能力であり……。ボランチをはじめ、シャドー、センターフォワードの縦軸には、ハードワークを含む総合的な役割を求めていた。

【次ページ】 最終ラインがどんどんポゼッション重視に。

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