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セレッソでルヴァン杯制した尹晶煥。
“らしくない”異能の韓国人監督の実像。 

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吉崎エイジーニョ

吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki

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photograph byJ.LEAGUE PHOTOS

posted2017/11/07 17:00

セレッソでルヴァン杯制した尹晶煥。“らしくない”異能の韓国人監督の実像。<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

ルヴァンカップ優勝の瞬間、喜びを爆発させた尹晶煥監督。伝統あるチームの長い歴史年表に、輝く文字を刻むこととなった。

「私なりの、私だけのサッカーがないと、生き残れない」

「ニポムニシ監督がやっていた攻撃的な部分と融合させて、自分のスタイルを作らなければならない、と。私なりの、私だけのサッカーがないと、生き残れない。それが成功すれば勝てるでしょう。失敗すれば修正しないといけない。鳥栖でそういう考えを持つようになり、コーチにもそういう考えを伝えていた。俺が監督である以上、守備はこうやって、こうやって、攻撃はこうやって、こうやる。考えを伝えていってましたよ」

 11月4日の決勝戦で見せたサッカー(もちろんふだんのリーグ戦ではよりポゼッションする姿も見せるが)は、「過去の自分に足りない部分を徹底的に補った結果」とでもいおうか。ただ本人は「近代サッカーを研究した結果」というだろうが。インタビューではこんな話もしていた。

「現代サッカーでは戦術面では、コンパクトであるかが絶対的に重要なポイント。そのなかで守備は必ずやるべきものなのです。なぜなら、ボールを奪わないと、攻撃できませんから。相手がボールをくれるわけじゃないのでね」

 しかしだ。監督として、自分のやりたいことを描くことと、伝えて選手に実践させることは別だ。尹はどうやってチームを強くしたのか。当時のインタビューの話をいったん離れ、4日の決勝戦後の選手の証言から。水沼宏太はこんな話をしていた。

「繰り返して言う、ということです。『守備』『走れ』『切り替え』と。単純なことでも人間、反復して刷り込まれれば、頭に入るようになる。もちろん、セレッソでは鳥栖よりも選手の格が少し上だったりするので、最初はちょっと受け入れづらそうな選手もいた。そこのところは僕もフォローして、言葉を補って伝えたりしてきました。結果、能力の高い選手が、頑張れるようになった。シンプルにそういうことですよ」

「日本人は決断を避けるようなときも」

 いっぽうで、当時の原稿では紹介しきれなかったエピソードがある。尹は「Jリーグのイタリア人監督には“イタリアサッカー”とは言わない。なぜ韓国人の自分だけが、という思いがあります」とも言っていた。そこで、この点を聞いてみた。

――とはいえ、韓国人としてこの日本の地で暮らしているのは事実なわけです。自身を「韓国人らしい」と思うことは? 当時はこんな話をしていた。

「うーん、強いていうならば『決断力』でしょうか。日本の人たちは全般的に決断を慎重にやるし、あるいは決断を避けるようなときもある。

 例えば、選手が負傷した時。

 練習を休むべきかどうか、とスタッフも聞いてくる。僕は『休むべき時は休め』と思うわけです。周囲が決断できない時、かわりに僕が決断するようなことがあります」

【次ページ】 思い切ってルヴァンカップ用メンバーを外した決勝戦。

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