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大仁田厚、7年ぶり7回目の引退!
復帰までがお約束のプロレス人生。 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byAFLO

posted2017/10/30 07:00

大仁田厚、7年ぶり7回目の引退!復帰までがお約束のプロレス人生。<Number Web> photograph by AFLO

引退→復帰→引退……のサイクルを生きる大仁田。そのメンタルタフネスがあるからこそ、過酷なデスマッチがよく似合う。

参議院議員時代、明大の卒業直後にも……。

 これだけ大々的に2度目の引退を行っただけに、さすがに復帰はないかと思われたが、わずか1年半後にあっさり復帰。この時は、引退を表明した宿敵ミスター・ポーゴの「最後に大仁田とタッグを組みたい」という願いを叶えるため、1試合限定という建前で復帰したはずだったが、その後も平気でリングに上がり続け、なし崩し的に現役復帰を果たしてしまう。

 これにはファンも拒否反応を示し、会場では「嘘つき!」という非難の野次が飛び交ったが、大仁田は「俺は嘘つきじゃあ! あんたら、人生で一度でも嘘をついたことがないのかあ!?」と、むちゃくちゃな発言で開き直り、当時、アントニオ猪木が代表を務めていた団体「UFO」をもじって「USO」なる軍団を結成する始末。

 3度目は参議院議員時代、2003年にアフガニスタンで「平和のためのプロレス大会」を開催する際、「これで引退」と語ったが結局、うやむやに。

 4度目は、2005年3月26日。社会人特別入試で入った明治大学の卒業式に出席した後、その夜に後楽園ホールで「プロレス卒業試合」を開催。この卒業つながりの、思いつきのような大会で本当に引退するとは、ほとんどの人が思っていなかったが、大方の予想どおり1年後に復帰した。

「本当に、本当に、本当に、本当に、本当に引退」

 この時は、2006年4月1日にZERO1が「靖国神社奉納プロレス大会」を開催した際、大仁田から「国のために死んでいった方に礼を尽くすための大会。出場させてほしい」と申し入れて参戦。例によって「1試合限り」だったはずだが、これまた大方の予想通り、現役復帰となった。

 5度目は2009年12月27日、長崎県知事選出馬を控え「知事(職)に全力を尽くしたい」と引退を表明。その際、「本当に、本当に、本当に、本当に、本当に引退」と“本当に”を5回も繰り返し強調したが、長崎県知事選で落選すると、その公約は案の定、反故にされた。なお、この5度目の引退試合は6人タッグマッチで「供託金300万円争奪戦」として行われている。

【次ページ】 長州、橋本も一度は「引退」を決断していた。

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大仁田厚

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