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山田哲人の神々しさを称えたい。
本塁打王の盗塁はいつから減ったか。 

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堀井憲一郎

堀井憲一郎Kenichiro Horii

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photograph byKyodo News

posted2017/10/24 11:00

山田哲人の神々しさを称えたい。本塁打王の盗塁はいつから減ったか。<Number Web> photograph by Kyodo News

本塁打で悠々と走り出す姿もいいが、ギリギリのタイミングを走り抜ける姿もまたいい。山田哲人にはどちらの姿も見せてほしい。

長嶋茂雄はいつも跳びはねているようだった。

 1958年の大型新人がすごかった。新人ながら29本で本塁打王。盗塁は37を記録した。

 長嶋茂雄である。本塁打王の盗塁数としては歴代2位である。

 この人は躍動感に満ち溢れていた。いつも飛び跳ねているようだった。見てる者も一緒に高揚した。言い方を変えれば、長嶋茂雄はひたすら落ち着きがなかった。

 昭和33年の長嶋茂雄37盗塁を最後として、「盗塁数が本塁打数より多い本塁打王」は出現しなくなる。

 転換させたのは、王貞治である。

 この人は1962年以来、15回本塁打王を取っているが、一度も10盗塁以上したことがない(本塁打王を取る前年1961年に一度だけ10盗塁している。13本塁打、打率.253)。

 同じ時期にパリーグで本塁打王を連続して取っていた野村克也でさえ1967年に13盗塁している(当時32歳)。

 あきらかに「本塁打王は盗塁しなくていい」としたのは王貞治からである。王貞治はもっと走れただろう。まあ、長嶋茂雄とコンビを組んでいる以上(しかも王が3番で長嶋4番というのが多かった)、走りにくいのはわかる。動の長嶋・静の王、というポジションを取らざるを得なかっただろう。でも本塁打王は走らなくていいというスタイルを確立したのは王貞治である。そのあとの本塁打王、山本浩二や掛布雅之は少し走ったが、1980年代以降は、ほぼ「本塁打王は盗塁10以下でよい」という時代になってしまった。

盗塁王で本塁打王、の山田哲人は神々しい。

 それ以降、30盗塁以上の本塁打王は、秋山幸二と山田哲人しかいない。

 それ以外で目立つのは1969年の長池徳二(41本塁打21盗塁)、1991年のデストラーデ(39本塁打15盗塁)、1997年ホージー(38本塁打20盗塁)くらいである。

 秋山幸二は1987年43本塁打38盗塁で、この38盗塁がプロ野球史上「本塁打王の盗塁数」として最多である。この人もしなやかな人だった。

 そして山田哲人、2015年、38本塁打34盗塁。

 いまどきの重鎮化しているホームラン争いで、トップになったのがすごいとおもう。しかも史上初の「盗塁王にして本塁打王」だった。

 神々しい。プロ野球界だけではなく、日本の宝である。

「本塁打もたくさん打つし、たくさん走る」という選手は、ただホームランを量産する選手よりももっと記憶し、顕彰したほうがいいとおもう。

 時代を超えて語られる存在である。

 来年がんばってね。

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