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桑田真澄がついに“あの日”の真相を。
巨人との間に密約はあったんですか? 

text by

薦田岳史(Number編集部)

薦田岳史(Number編集部)Takeshi Komoda

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2017/10/16 15:30

桑田真澄がついに“あの日”の真相を。巨人との間に密約はあったんですか?<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

17歳の桑田氏は、大人不信だったという。現在は野球教育も精力的に行っており、子供のために活動している。

清原氏にとっては癒えない傷、桑田氏にとっては……。

 32年経った今でも、清原氏にとってあのドラフトはいまだ癒えぬ“傷”だった。当時の記憶は生々しく、その言葉からは今もその痛みに自問する時があるようだった。

「今、振り返ってみて、あのドラフトがあれでよかったのか……。正直、そう考えることもあります。でも、自分ではあれでよかったと思うようにしているんです。今回の事件もそうなんですけど……」(Number936号「告白」第6回)

 あのドラフトについては、少なくない関係者が様々なことを語っている。だが、桑田氏本人は、そのことについてこれまで多くを語ってこなかった。だからこそ私たち編集部は桑田氏に聞いてみたいと思った。清原氏が「桑田、何でなんだ」と問いかけるあのドラフトについて。清原氏にとってあの日は傷として残っているが、桑田氏は、あの日々をどう過ごし、何を感じ、何を想っていたのか――。

 清原氏がドラフトについて「告白」してから、我々は桑田氏にインタビューを申し込んだ。桑田氏は依頼を断るのではないか、正直そう思っていた。だが、桑田氏は取材を引き受け、その理由を冒頭の言葉で語ったのだ。

「僕は本気で早稲田に入りたいと思っていた」

 ベースボールライターの石田雄太氏がインタビュアーとなり、32年ぶりに告白された桑田氏の「ドラフトの真実」は非常に興味深いものとなった。桑田氏の記憶もまた生々しく、細部に至るまで当時の想いが凝縮されていた。その全容は是非Number937号でお読みいただきたいが、冒頭の一部分だけ、ここで紹介する。

――まず、あえてお聞きします。32年前のドラフト、桑田さんと巨人との間に“密約”と言えるものはあったんですか。

「そもそもドラフトの場合、どういう約束が密約に当たるんですか」

――それは、たとえば桑田さんが事前に巨人から1位で指名されることを知らされていて、他球団からの指名を避けるために早稲田大学へ行くと言っていた場合、それは密約に当たると思いますが……。

「よく言われましたよ。僕が早稲田を隠れ蓑にして巨人に入ったって……でも、僕が本気で早稲田に入りたいと思っていたことはPL学園の誰もが知っていたはずです。(以下略)」

 桑田氏はこの先どう答えたのか?

 なぜ桑田氏は清原氏にも「巨人が指名してきたらプロへ行く」という自らの真意を語らなかったのか?

 そして、初めて明かされた真実の数々――1時間15分に及んだインタビューの最後、「これが僕のドラフトのすべてです」と言い切った桑田真澄氏。すべてを語り終えた男の顔は、どこか清々しくも見えた……。

 現在発売中のNumber937号の特別記事「独占告白 桑田真澄『これが僕のドラフトのすべてです』」には、その衝撃の告白の全貌が掲載されています。同時掲載されている清原和博氏の連載「告白」も合わせて必読のスクープ記事ですので、お見逃しなく!
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