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1児の母として日本柔道強化を。
福見友子が捧ぐ「すべての情熱」。

posted2017/10/15 08:00

 
1児の母として日本柔道強化を。福見友子が捧ぐ「すべての情熱」。<Number Web> photograph by Shino Seki

母であると同時に、日本柔道の強化に邁進する福見。その原動力はこれまで携わり続けた柔道に対する感謝がある。

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

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Shino Seki

 2013年4月に競技から退くことを発表してから4年と半年。世界選手権優勝、ロンドン五輪出場など第一線で長く活躍してきた柔道48kg級の福見友子は、今、指導者として畳の上に立つ。2015年10月、行徳祐二監督のもと、JR東日本女子柔道部のヘッドコーチとなった。

「いやあ、まだまだ動けていないですね。もっとトレーニングをしておけばよかったと思います」

 選手の乱取りの相手を務め、選手たちの練習風景を見つめ、道場に響く声でアドバイスを送る。練習を見守る眼差しは鋭い。ときにその腕に小さな子供を抱いているときも、その眼差しは変わらない。

「支障のない範囲でやってもらえれば問題はない」

 福見は2015年11月に結婚、今年2月に出産した。

 現在は都内に住む。柔道場の玄関にはベビーカーが置かれている。

「電車で自宅から通っています。東京都内は車もいらないですから。会社(JR東日本)にもすごく理解していただいてやらせていただいています。合宿や他の大学での練習がないときは、毎日ここで練習し、週に2回は出勤しています」

 昨年11月には日本女子代表のコーチにも就任した。

「(日本女子代表の)増地克之監督からじきじきにお電話をいただきました。事情を説明したあとあらためて連絡があって、『支障のない範囲でやってもらえれば問題はないから』と言ってもらえて、ぜひお願いしたいと返事をしました」

 以前の柔道界を考えれば、出産を控えた福見の起用は異例と言えた。そこに現在の日本柔道界の空気の一端が表れている。

 その後、出産した2月に実施された日本代表合宿まで参加するなど活動し、短い産休の後、復帰した。

 現役時代から、引退後は指導の道へ進みたいと考えていた。2014年にはこう語っている。

「自分を表現できる選手を育てたい」

「選手と向き合える指導者でありたい」

【次ページ】 「私はこれをやっていたから……」をしたくない。

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