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J2名岐ダービー伝説、パート2。
史上初、前売り完売の奇跡と……。 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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posted2017/10/03 11:00

J2名岐ダービー伝説、パート2。史上初、前売り完売の奇跡と……。<Number Web> photograph by Takahito Ando

観客席が満員となった長良川競技場。FC岐阜選手のパフォーマンスも、いやがおうにも上がるというものだ。

前売りの時点で、すでにチケット完売に!

 前売りの段階でチケットが売り切れるのはクラブ史上初。

 当日の試合は、キックオフ4時間前から長蛇の列ができ、クラブ史上最多の1万7027人もの観衆が押し掛け、岐阜側はもちろん、名古屋側もバックスタンド手前からメインスタンド半分近くまで赤く染まり、両チームのサポーター、ファンがすし詰め状態となった。

 当然、名古屋サポーターからすると、ダービーに関してはそれほど重視していない気持ちに変わりは無いが、別の特別な想いがあった。実は古くからの名古屋サポーターにとって、長良川は特別な意味を持つ場所なのだ。

ピクシーの大雨リフティングは、長良川だった。

 1992年のナビスコカップ開幕、1993年のJリーグ開幕からの老舗クラブである名古屋は、1993年から2001年に豊田スタジアムが完成するまで、岐阜を「準ホームタウン」とし、長良川競技場を準ホームスタジアムとしていたのだ。

 このスタジアムで、名古屋は数々の伝説に残る試合を繰り広げた。

 1993年6月26日のJリーグ・サントリーシリーズ第13節に清水エスパルスと対戦したのが物語の始まり。1994年9月17日のJリーグ・セカンドステージ(NICOSシリーズ)第11節のジェフユナイテッド市原戦ではストイコビッチが、大雨で水浸しとなったピッチを鮮やかなリフティングドリブルで切り裂いた。これはJリーグファンの間で今でも「伝説のシーン」として語り継がれている。

 だがこのスタジアム、1999年5月5日のJリーグ・ファーストステージ第11節の清水エスパルス戦で使用した以降、Jのリーグ戦では一度も使用していないのである(2003年の天皇杯、2015、2016年のプレシーズンマッチなどは除く)。

 1993年からのオールドファンである名古屋サポーターは、「やっぱり長良川競技場に来ると、Jリーグ創生期のことを思い出して、凄く懐かしい気持ちになる。沢入重雄やピクシー(ストイコビッチ)たちがスーパープレーを見せてくれたし、思い入れが深い場所。ここでJリーグをやるのはやっぱり感慨深い」と、古くからのファンの気持ちを語ってくれた。

【次ページ】 岐阜は結局2-6で大敗したけれど……。

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