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井口資仁、現役生活21年間の意味。
「指導者向き」を証明するエピソード。 

text by

永田遼太郎

永田遼太郎Ryotaro Nagata

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photograph byKyodo News

posted2017/09/27 11:30

井口資仁、現役生活21年間の意味。「指導者向き」を証明するエピソード。<Number Web> photograph by Kyodo News

引退試合の後、セレモニーでZOZOマリンスタジアムを一周してファンに感謝を伝える井口。

「これからも次の目標に向かって、しっかりと」

 浦和での生活は朝7時、普段と変わらず球場のウエイトルームに入り、まずはしっかり体を目覚めさせることからスタートする。室内練習場では若手に負けじと、1スイングずつ無駄がないように気持ちを込めてバットを振り込んでいく。

 現役引退が決まっているにもかかわらず、なお自身の最高を追い求める飽くなき探求心。その背中を見て、質問に来る若手の姿が連日絶えなかったという。

 引退試合後の会見で、井口はこう語った。

「目標だったり、自分の軸と言うものをしっかり持っていたので、それがこの21年間しっかり出来たことだと思いますし、これからも次の目標に向かって、しっかり目標設定してやっていけたらと思います」

 その言葉はこれから上を目指そうとする若手選手へのメッセージのようにも聞こえた。

 明確な目標設定を立て、それを実現するために今、何が必要かを見極め、そのための準備を念入りに行う。この21年間、その姿勢に一切の妥協はなかった。

 引退試合のミラクルもそうした中から生まれたのだ。

驕ることが全く無く、若手にも記者にも優しかった井口。

 毎年1月に沖縄で行っていた自主トレでも、人一倍の汗を流して他の選手を驚かせていたという。

 自分のこれまでの実績やネームバリューに驕ることなく、けっして偉ぶらず、自らが率先してどんなことでも動く。記者や若手から質問が飛べば、丁寧に受け答えをし、どんなときでも笑顔を絶やさない。現役生活最後の試合でもその姿は変わらなかった。

 MLBから帰り、千葉ロッテに在籍した9年間は、あらゆる点で若手たちの模範になった。

 引退試合が行われたZOZOマリンスタジアムにはかつて一緒にプレーした現東京ヤクルトの成瀬善久ら、井口の後輩たちも多く足を運んでいたが、その中には千葉ロッテで誰よりも早く井口に弟子入りを志願し、その後、オリックス、埼玉西武でも活躍した竹原直隆さんの姿もあった。

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