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どう考えても、敬遠は逃げではない。
広陵・中村と松井秀喜の「差」は何か。 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byHideki Sugiyama

posted2017/09/07 07:00

どう考えても、敬遠は逃げではない。広陵・中村と松井秀喜の「差」は何か。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

花咲徳栄の岩井監督は「逃げた時の怖さ」と口にした。敬遠後の次打者の結果が、試合の流れを大きく変える可能性もあるのだ。

敬遠した数少ない成功例は“あの試合”だった。

 岩井ほどの指導者が敬遠を「逃げ」と考えているとは思えないが、行きがかり上だろう、ここでは敬遠の意味で使っていた。そして、敬遠の方が怖い、と語っていたのだ。

 ここにこそ、敬遠の本質がある。

 敬遠し、次打者に打たれたときのダメージは計り知れない。流れは相手に一気に傾く。精神的に未発達な高校生にとって、その重圧を跳ね返し、次打者を抑えることは容易ではないのだ。

 敬遠を「逃げ」としか捉えられない人は、「敬遠すれば勝てる」とでも考えているのだろう。

 高校野球の歴史において、敬遠策を徹底したチームは大抵、負けている。数少ない成功例のうちの1つが、'92年夏、甲子園の2回戦で明徳義塾が星稜の松井秀喜を5打席連続で敬遠し勝った試合だ。

 くどいようだが、あれは「逃げ」たから勝てたのではない。敬遠という「勝負」を選び、遂行できたからこそ勝てたのだ。余談ながら、あの試合は、松井の5打席のうち3打席までが僅差で、走者を置きかつ一塁ベースが空いていた。松井を歩かせるのは当然の策と言ってもいい状況が3度も巡ってきたのだ。それも相当、珍しいことだった。

もし僅差での最終回、一打逆転の場面だったら……。

 今回、花咲徳栄は全打席、中村と勝負した。

 しかし、「逃げずに勝負した」わけではない。序盤から点差がついたこともあり、勝負か、歩かせるかの選択を迫られるケースがなかっただけのことだ。

 たとえば、こんな場面を期待していた。同点か、1点リードで最終回を迎え、1アウト二、三塁。そこで打席には中村が立つ――。

 そのとき、岩井はどのような選択をしただろう。

 どちらを選んでも、怖い。

 やはり、どう考えても、敬遠は「逃げ」ではない。

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