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バスケ日本代表の救世主になるか?
日本育ちランデン・ルーカス、Bリーグへ。

posted2017/07/25 18:45

 
バスケ日本代表の救世主になるか?日本育ちランデン・ルーカス、Bリーグへ。<Number Web> photograph by USA TODAY Sports/REUTERS/AFLO

身長208cmのルーカスは守備に強く、ダンクもお手のもの。'15年のユニバーシアードではアメリカ代表として優勝に貢献した。

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宮地陽子

宮地陽子Yoko Miyaji

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USA TODAY Sports/REUTERS/AFLO

 7月25日、リーグ設立2年目を迎えるBリーグにとって、そしてもしかしたら今後の日本代表にとって鍵をにぎることになる選手が、日本に到着した。この春、名門カンザス大を卒業したランデン・ルーカス(センター)だ。

 彼が日本に到着する直前に、Bリーグのアルバルク東京からルーカスとの契約が正式に発表された。同じ頃にルーカスの母、シェリーも、自身のウェブサイトでルーカスがチーム(アルバルク東京)と、NBAアウト(NBAからのオファーがあった場合に契約を打ち切れる権利)付の完全支払保証された3年契約を交わしたと書いている。

 実はルーカスにとって、今回は3度目の来日となる。1度目は'93年10月、なんと生後13日で初めて日本を訪れた。当時、父、リチャード・ルーカスが日本リーグのジャパンエナジーでプレーしていたのだ。その後、3歳頃まで日本で過ごした。オレゴンに戻った後も、日本語能力をキープできるようにと日本人学校に通っていたというのだから、アメリカに戻ったとはいえ、日本との縁は強いままだった。

 2度目はルーカスが11歳の時。父と離婚した母に連れられて福井に移り住んだ。息子が将来、バスケットボールに本気で取り組むことになるとわかっていた母、シェリーは、アメリカの高校で本格的にバスケットボールを始める前に、ランデンに再び日本での生活を経験させたかったのだ。オレゴンの家や家財道具を一切売り払っての、思い切った移住だった。そうすることで、ランデンの将来の選択肢が増えるように、アメリカで育ったら得られないような機会に恵まれるようにというのが移住の目的だった。

日本に戻ったら、また懐かしい人たちに会えるのでは。

 日本語での会話ができたルーカスは、地元小学校への入学を認められた。と同時に、地元のミニバスケットボール・チーム、啓蒙ミニバスケットボールスポーツ少年団に入った。

「あれは、とてもいい経験だった。多くのすばらしい人たち、友人たちに出会った。日本で過ごした時間はとても楽しかった。5年生か6年生ぐらいまでの僕は英語より日本語のほうが得意だったんだ。読み書きもできた。今はだいぶ忘れてしまったけれどね。でも、日本で2週間ぐらい生活すれば戻ってくると思う。

 日本で所属していたチーム(啓蒙ミニ)は強くて地区優勝もした。あの時のチームメイトのうち何人かとは今も連絡を取り合っている。日本に戻ったら、また懐かしい人たちに会うことができるのではないかと楽しみにしている」

【次ページ】 子供の頃から大きくて、シャックが大好きだった。

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