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桜庭和志は、プロレスファンの光だ。
アジア初のUFC殿堂入りが誇らしい。 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byGetty Images

posted2017/07/15 08:00

桜庭和志は、プロレスファンの光だ。アジア初のUFC殿堂入りが誇らしい。<Number Web> photograph by Getty Images

リング上ではあんなにも大胆でサービス精神に溢れているが、リングの外ではシャイさを隠さない。桜庭和志は、そういう男なのだ。

「プロレスラーが最強」の幻想が破壊され……。

 それまでのプロレス界は、柔道家やキックボクサーをプロレスのリングに上げ、異種格闘技戦で下すことで、他競技に対する優位性を示していた。しかし、'93年に“黒船”と呼ばれたグレイシー一族の登場以降、なんでもありのバーリトゥード(現在のMMA)という舞台が生まれると、その優位性は一気に崩れ去る。

 '94年12月に、UWFインターナショナルの“裏・実力ナンバーワン”と言われた安生洋二が、ヒクソン・グレイシーに道場破りを仕掛けるも無残な返り討ちにあったのを皮切りに、前田日明の一番弟子であったリングスの山本宜久、喧嘩最強と呼ばれたケンドー・ナガサキなどが、次々とバーリトゥードで撃沈。

 それまで、世間からプロレスが八百長視されても「本気になったらプロレスラーは強い」、「ルール制限がない闘いではプロレスラーが最強」という思い込みが、プロレスファンにとっては、心の拠り所となっていた。しかし、この拠り所は徐々になくなっていき、'97年10月11日の『PRIDE.1』で高田延彦までもがヒクソンに敗れると、プロレスラーの強さを信じられなくなっていった。

 当時のプロレスファンは、一種のアイデンティティクライシスに陥っていたのだ。

プロレスラーの天敵・柔術家に腕ひしぎ十字固め!

 そんな時に現れたのが桜庭和志だ。

 高田vs.ヒクソン戦のわずか2カ月後に行われた『UFC JAPAN』に、桜庭は先輩・金原弘光の負傷欠場が理由で、試合4日前の緊急オファーを受けて出場。

 対戦相手は、カーウソン・グレイシー門下の黒帯ブラジリアン柔術家マーカス・コナン。当時、85kg前後の体重だった桜庭に対し、コナンは110kg。その体重差は実に25kg。

 当時はグレイシーをはじめとする柔術家はプロレスラーにとって天敵であり、ましてや黒帯を巻く実力者から一本またはKOを奪う選手は皆無だったため、大半のファンや関係者は、コナンの完勝を予想していた。

 ところが試合が始まると桜庭は、得意の低空タックルやグラウンドでの素早い動きで、黒帯柔術家と互角以上に渡り合う。そしてレフェリーのミスジャッジで再試合になるとさらにギアを上げ、最後は見事に腕ひしぎ十字固めを極めてタップアウト勝ちを奪った。

【次ページ】 「プロレスラーは本当は強いんです」という伝説の名言。

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桜庭和志
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