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努力したと決して自分では言わない。
西武・栗山巧が積み上げた1500試合。 

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市川忍

市川忍Shinobu Ichikawa

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photograph byKyodo News

posted2017/04/18 11:00

努力したと決して自分では言わない。西武・栗山巧が積み上げた1500試合。<Number Web> photograph by Kyodo News

普段の練習中も、どこでスカウトが見てるかわからない。

「子供のころからプロ野球選手になりたくて、プロになるには甲子園に出るのがいちばんの近道だと思った」と、育英高校に進んだ理由について以前、栗山は語っていた。普段の練習中も、いつ、どこでプロのスカウトが見ているかわからない。だから、練習も絶対に手を抜かなかった。夢を叶えることができたのは、進んだ先々で努力を惜しまなかったからだ。

 一軍デビューの'04年は出場1試合に終わったものの、翌'05年から84試合、63試合、112試合と出場数を伸ばし、西武が日本一になった'08年には138試合に出場し、初めて3割以上の打率を残した。その後は、長期間戦列を離れるような大きな故障はなく、昨年まで10シーズン連続で100以上の試合に出場してきた。

こんなに練習した、と自分では決して言わない。

 順風満帆な野球人生にも見えるが、実は、'15年のシーズン序盤は極度の不振に苦しんだ。開幕からヒットが出ず、打率は1割台にとどまった。

 試合終了後、ユニホーム姿のままバットだけを持ち、球場の隣にある室内練習場へと消える姿を幾度も目にした。夏場を迎え、復調の兆しを見せ始めていた栗山に要因を聞くと、即座にこう答えた。

「それは田辺監督(当時)が試合に使い続けてくれたからです。あれだけ使ってもらえれば、そりゃ、徐々によくなりますよ」

 実戦で生きたボールと対峙できたことが大きいと、監督に感謝の気持ちを表した。

 彼に話を聞くことは多いが、こんなに練習しました、こんなに努力しましたと栗山が語っていた記憶が全くない。不振にあえいだ'15年の序盤も、3割以上の打率を残したシーズンも、同じように冷静に、自分の調子や成績を分析し、言い訳はせず、いつも潔かった。

 その男気あふれる姿勢が、こうして長く、ライオンズファンから愛されるゆえんなのだろう。

「次は2000試合を目指して、もっと試合に出たい」

 1500試合出場達成に対する言葉を聞き、最初に会ったときと全く変わらない、衰えぬ貪欲さに安心した。

 この先、栗山が刻んでいくであろう自身の歴史を見るのが楽しみである。

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