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俳句と同等の「べーすぼーる」愛。
球春の今こそ、正岡子規を知る。 

text by

今井麻夕美

今井麻夕美Mayumi Imai

PROFILE

photograph byWataru Sato

posted2017/04/10 08:00

俳句と同等の「べーすぼーる」愛。球春の今こそ、正岡子規を知る。<Number Web> photograph by Wataru Sato

著者の伊集院静氏も大の野球好きで知られる。彼らが文章を綴ることで、日本の野球文化はまたひとつ、深みを増す。

故郷に帰省し、後輩を「べーすぼーる」に巻き込む。

 まだ日本で知られていなかったカーブボールを、子規がはじめて受ける場面だ。その後、数球練習を続け、子規は捕球できるようになる。

 新しいものに対する興味。

 ボールひとつに対する表現のあざやかさ。

 野球に対する熱意。

 こつこつと練習を続ける才能。

 子規の特徴がすべて現れたシーンが深く印象に残る。

 故郷に帰省したときには、母校のキャンパスで後輩の河東碧梧桐に野球を教える。自然と人をひきつけ、あふれだす熱意のまま語る子規の姿に、彼らもまた野球に魅せられていく。そして野球のルールを説明する際、子規は自ら考えた訳語を使った。バッター=打ち手、ピッチャー=投げ手、ホームベース=本基などだ。

 子規は子供の頃からひ弱で、運動や武道が苦手だった。ではなぜ、野球のどんなところに魅せられ、夢中になったのだろうか。

 この小説の中には〈このスポーツを初めて見た瞬間から自分の身体の芯のようなところがカッ、と熱くなり、鳥肌が立った〉という一文があり、また子規はあざやかで美しいものを好んだと書かれている。野球との出会いは子規にとって運命だったのかもしれない。

学業そっちのけの子規と、漱石の運命の出会い。

 子規には、もう一つ運命の出会いがあった。夏目漱石だ。学業そっちのけで野球や寄席にのめり込む子規と、開校以来の秀才と謳われた漱石。一見対照的な二人は落語を通じて意気投合し、たちまち仲を深めていく。

 漱石は漢文を、子規は俳句を、互いに教える。文学について激論を交わす。向こうみずで、しかも喀血し体調を崩しがちな子規が落第しそうだった時には、漱石が奔走し助けたりもする。治療のことで子規の医師にも会いに行く。

 同い年なのに、まるで父親のように子規を叱咤し、見守り続ける漱石。しかし漱石は、そんな子規の存在を見て、逆に励まされていたように思う。

【次ページ】 「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」に野球のエッセンス。

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正岡子規

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