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勇人と寿人の眼は、まだ死んでない。
J2で実現した8年ぶりの双子対決。 

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細江克弥

細江克弥Katsuya Hosoe

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photograph byJ.LEAGUE PHOTOS

posted2017/03/19 07:00

勇人と寿人の眼は、まだ死んでない。J2で実現した8年ぶりの双子対決。<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

この日、誰よりも試合に出たかったのは佐藤勇人に違いない。メディアのために道化を演じても、目は死んでいない。

史上初のAマッチ双子同時出場を果たしたことも。

 ジェフ市原(当時)のアカデミーで育った2人は、プロ3年目の2002年から進む道を別にした。

 覚悟を決めて千葉を飛び出した寿人は、レンタル先のC大阪とベガルタ仙台でジワジワと結果を残し、2005年にサンフレッチェ広島へ完全移籍。ただちにエースの座を担うなど、12年連続2ケタ得点という偉大な記録を打ち立てた。

 一方の勇人はイビチャ・オシムが率いた千葉で中核を担い、国内屈指のボランチとして急成長を遂げた。双子の存在感は一気に高まり、引き寄せ合うようにして再合流したのは最高峰のスターダムだった。2006年8月、イエメンとのアジアカップ予選で、2人は史上初となる「国際Aマッチでの双子同時出場」を実現する。

 あれから10年。2人の明暗は、くっきりと分かれた。

 勇人は一度千葉を離れたが、チームのJ2降格を機に3年ぶりに復帰し、ただガムシャラにJ1復帰だけを目指してきた。しかし本人が望んだゴールは不可解に遠く、J2での戦いは今季で8年目になる。

勇人も寿人も、再戦を心待ちにしていた。

 一方、広島のエースとしてストイックにゴールを求めた寿人は、計3度のリーグ制覇の立役者となり、一時はJ1最多得点記録保持者にもなった。ストライカーは結果がすべて。だから、大久保嘉人と並ぶ「現役最高の1人」の評に疑いはない。

 ハイライトは2012年11月。まずは23日、J1昇格プレーオフ決勝に敗れた勇人の泣き顔がヤフーのトップニュースに上がり、翌24日、クラブ史上初のJ1制覇を成し遂げた寿人の泣き顔が同じくヤフーのトップを飾った。

 躍る弟と、潜む兄。だからこそ勇人は、もう一度、寿人と同じ舞台でプレーすることを大きなモチベーションとして歯を食いしばってきた。その日を心待ちにしていた寿人は、王座を防衛し続けなければ一気に陥落するボクサーのような危機感で、自身のプライドと向き合い続けた。

 その結果として出した答えだから、名古屋への移籍は、J2とはいえ妥協ではない。そうして2人は、今季、8年ぶりに同じリーグを戦うことになった。

【次ページ】 勇人が悔しかったのは、寿人のプレー。

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