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「東京パラリンピックでは金メダルを取ります」
パラアーチェリー上山友裕、2020年への決意。

posted2017/03/31 11:30

 

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Number編集部

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SportsPressJP/AFLO

「どうも、パラアーチェリーの神7です」

 リオ2016パラリンピック競技大会男子リカーブ・個人7位入賞の上山友裕は人気アイドルグループのメンバーに自身のリオでの結果をなぞらえて、いかにも関西出身らしく自己紹介をしてみせた。「僕なんかがインタビュー受けちゃっていいんですかね」と言いながらはにかむように笑うその表情は彼がパラアーチェリーの選手として世界のトップレベルで鎬を削る選手だということを束の間忘れさせる。

上山友裕 1987年8月28日、大阪府生まれ。23歳の時、原因不明の病気で両下肢機能障害を発症し、車椅子での生活を余儀なくされる。2016年リオパラリンピックにリカーブ・個人の部で出場し7位入賞。三菱電機所属。

 上山がアーチェリーと出会ったのは同志社大学1年生の時。車いすでの生活を余儀なくされる前、健常者だった時のことだ。美人の先輩に勧誘されて入部を決めたのだと言う。学生時代は室内のインカレ大会に出場経験があるものの、決して目立った成績ではなかった。アーチェリーから距離を置いていた時期もあった。

「大学4年から社会人1年目にかけてですね。社会人ならゴルフだろうと思って、ずっとゴルフをやっていた時がありました。そしたら入社した2010年の春に会社のアーチェリー同好会の先輩から『僕らは今まで一度も実業団選手権の決勝に出たことがない、上山君の力を貸してくれ』って言われて。そんなこと言われたら断れないですよね。あの時、アーチェリー辞めたんですって答えていたら、今こうしてパラリンピアンとしてインタビューを受けることもなかったでしょうね」

 再びアーチェリーへの情熱を取り戻した上山だが、その冬、原因不明の病に襲われる。

原因不明の病からパラアーチェリー人生が始まった。

「帰宅の時に電車に乗ろうと走りかけたら、思うように足がついてこない。そんな症状が徐々に悪化していきました。医師の診断は病名も原因も不明、症状として両下肢機能障害が認められるというものでした。でも、僕自身はあんまり気にしないで、足が不自由ながらも松葉づえで生活していたし、普通にアーチェリーも続けていたんです。そしたら、様子を見ていた知人が、その症状なら障害者手帳を取った方がいい、とアドバイスしてくれて。申請してみたら2級の手帳が交付されて、そんなに悪いんだって愕然としました」

 上山のパラアーチェリー人生が始まった瞬間だった。

 健常時の経験もあり、始めた当時から日本代表レベルの点数をたたき出すことができた上山はやるからにはパラリンピックと目標を定めた。しかし、国内大会はいざ知らず、世界の壁は簡単に乗り越えられなかった。

【次ページ】 平日フルタイムの仕事と競技を並行する難しさ。

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