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剣道における一対一の空気の特別さ。
一瞬の時間と空間を切り取る醍醐味。

posted2017/01/05 08:00

 
剣道における一対一の空気の特別さ。一瞬の時間と空間を切り取る醍醐味。<Number Web> photograph by Wataru Sato

筆者の藤沢周は芥川賞作家であり、同時に法政大学の教授でもあるという変り種だ。

text by

今井麻夕美

今井麻夕美Mayumi Imai

PROFILE

photograph by

Wataru Sato

 タイトルの「武曲」とは、北斗七星の中の二連星のこと。北斗七星をひしゃくに例えた時、柄の部分の先端から2番目にあるのが、その星だ。肉眼だと1つに見えるが、実は連なって光を発しているらしい。

 相性とか運命とかよく言われるけれど、一対一で人間が対峙するとき、その2人にしか成しえない空気が生まれる。親子、友達、恋人。そうした関係性を指す言葉よりも、目に見えないその空気こそ、2人のつながりが特別であることの証明になる。

 一対一で立ち会う剣道。『武曲』は剣道小説ではあるのだけれど、親と子、師と弟子、さまざまな組み合わせの2人が生みだす世界の、緊迫感と豊かさが描かれている。

 ラップ好きの北鎌倉学院高校2年生・羽田融は、同じ高校の剣道部とトラブルを起こす。その時に奪われたiPodを取り返すため、なぜか剣道で勝負をつけることになる。

まったくの素人に天与の才が宿るという燃える展開。

 剣道はまったくの素人。融が想像していたよりも竹刀はずっと重く、思わずだらりと剣先を下げた構えになってしまった。

 しかし融は、相手の動きを見定めることができた。そして、もともとやっていた短距離走のスタートの要領で、溜め込んだ力を放つ。相手の胸に向けて突く。

〈「掠ったっつうか、当たったよね? 堀内さん」

「……おめえ、それ、剣道じゃねえよ」〉

 その立ち会いを見たあと、束の間竹刀を交えて、融に天性の才能を感じ取ったのが、剣道部コーチの矢田部研吾だ。現在は警備員をしながらコーチを務め、父親の介護もしている。「凄い剣士に会った」と意識不明の父親に報告する。

〈「……竹刀を握っている時の目は……、あんたみたいな目だった……」〉

 父親は「殺人刀」の使い手として恐れられた剣士で、矢田部の剣道の師でもあった。実は矢田部との立ち会いが原因で、今の状態になったのだった。幼少期からの父親との確執。父親の剣を、そして理想の剣を越えられないことから、矢田部は苦悩していた。そこに父親を思わせる融の剣に出会ったことで、研吾は自身の心の淵をのぞき込むようになる。そして克服したはずのアルコール依存症の過去が蘇る。

【次ページ】 ラップと剣道用語が奇妙に韻を生み出していく。

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武曲

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