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なぜ阪神は彼に66番を用意したか。
SB戦力外の柳瀬明宏と斉藤和巳の縁。 

text by

田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byHideki Sugiyama

posted2016/12/08 11:30

なぜ阪神は彼に66番を用意したか。SB戦力外の柳瀬明宏と斉藤和巳の縁。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

阪神は今季、中継ぎ陣が崩れて試合を落とすケースがままあった。トップフォームに戻れば、柳瀬は勝負できる立ち位置にある。

ともにリハビリに励んだ斉藤和巳という存在。

 プロ5年目だった'10年の8月に右肘のいわゆる「トミー・ジョン手術」を行った。復帰まで時間を要すると判断されてオフに戦力外となり、育成選手として再契約したことがある。

「手術から1カ月間はギプスが取れず、ようやく外れても今度は肘が曲がらないし、伸ばすこともできない。まるで自分の腕じゃない。絶望しました」

 肘にメスを入れたのは大学時代から含めて3度目だったが、最も大きな手術である。思うようにならない右腕。そして育成選手への降格。不安でどうしようもない頃、心の支えとなったのが同時期にともにリハビリに励んだ斉藤の存在だったのだ。

「もともと雲の上の人。だけど、プロに入って1度目の手術をした'09年のことでした。朝からいつも通りにリハビリのメニューをしていたら、和巳さんの方から『今日ドームに一軍の試合を観に行くぞ』と誘ってくれたんです。ネット裏の部屋で2人きりで観戦。試合後は食事にも連れて行ってくれました。その日をきっかけにして、僕からも積極的に話せるようになったんです」

気迫に満ちた6年のリハビリ生活に心を打たれた。

 斉藤は、柳瀬がルーキーだった'06年に自身2度目の沢村賞に輝いた。だが、球界を代表するエースも、すでに右肩は限界で'08年以降はマウンドから姿を消していた。当時、斉藤はリハビリについて「薄皮を丁寧に一枚ずつ剥がしていく様なもの」と表現していた。

 日々の変化が見えにくく、復帰へ前進している実感はまるで湧かない。それでも、結果6年にも及んだ斉藤のリハビリだったが、決して弱音は吐かず、何事にも全力で取り組み、一日たりとも無駄にしないという気迫に満ちた姿勢は崩れることがなかった。

 その姿に心を打たれた選手、球団関係者は多い。柳瀬もその一人だ。

【次ページ】 ミスターチルドレンの、あの登場曲のように。

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