平尾誠二さんの思い出を語ってください。

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 1980年代から1990年代にかけてのラグビー人気を支えた平尾誠二さんが10月20日、53年の生涯を閉じました。  伏見工(当時・・・続きを表示

●伏見工業高校時代
●同志社大学時代
●神戸製鋼時代
●日本代表時代
●監督・GM時代

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  • 平尾さんとは4つしか変わらない。
    本当はラグビーをやりたかったが問題があって別の球技へ。
    自分の大学が同志社との試合のとき、OBとして顔を出していた平尾さんにトイレであった。自分とは7cmくらいしか変わらないが、非常に大きく見えた。
    ラガーマンだがごつい印象がなく、ダン・カーターっぽい。
    神鋼時代のプレースタイル、カットバックには魅了されて、競技は違うがとても参考にさせてもらった。
    大学を卒業して社会人になってから、三宮の飲み屋で見かけた。
    しかし、三度目の遭遇は無かった。
    なんだか全く関係ない私だが、同時代というか年齢の近いプレーヤーがいなくなると、なんともいえない虚しさを感じる。

    ご冥福をお祈りします。

    SUPER父ちゃんさん2016/10/28 18:26に投稿

    1
    そう思う!
  •  神戸製鋼時代だと思います。
     やはり、社会人チームが学生や代表チームと比べあまり変わらないメンバーで長い時間練習ができ、なおかつチームとして目指す方向性を共有しやすいので、平尾さんの思考を伝えやすかったのではと思います。
     だからこそ7連覇という偉業を達成できたのではないでしょうか。当時見ていて本当に強くて楽しい魅力あるチームでした。
     そのような素晴らしいチームを作り上げた平尾さんは選手としても指導者としても素晴らしい方でした。
     これからも日本のラグビー界を牽引してくれる方だと思っていた矢先のことでとても残念であります。こんなにも早く逝ってしまうなんて早すぎます。
     平尾さん、ありがとう。あなたのラグビー界への功績とたくさんの思い出を忘れません。どうぞ、安らかにお眠りください。

    ポンくんさん2016/10/28 23:18に投稿

    0
    そう思う!
  • 自分が初めて現場でラグビーの試合を見たのが、花園で同志社と天理と言う関西大学リーグの強豪対決だったと思います。FWの林敏之さんが好きで行ったのですが、その林さんと入れ替わりで入学してきたのが平尾さんでした。とにかくけた違いにかっこよかったですね!、縛りごとの少ない自由な発想を重んじる名将岡仁誌監督に率いられ、関東偏重の大学ラグビーに風穴を開けるような活躍が痛快でした。卒業後も後輩の応援に(監視に?)大八木さんたちと花園にも来ておられ、「あいつ何しとんねん!」みたいにワイワイとヤジを飛ばしておられたのが、そばで見ていて楽しかったです。平尾さん早すぎますね、まだまだラグビー界にいろんなこと仕掛けていってほしかった、ご冥福をお祈りします。

    マドリーさん2016/10/29 11:07に投稿

    0
    そう思う!
  • 初めて見たとき渋くてかっこいいなと思いました。プレーも天才肌で楽ビーにもスターが誕生したと思った。スクールウォーズにも出てたので愛着もありました。

    ゆーいちろーさん2016/10/29 18:02に投稿

    0
    そう思う!
  • 阪神大震災の2日前、神戸製鋼の日本選手権7連覇を見届けた。神鋼の圧倒的な強さと平尾さんのプレーに魅了されたことを覚えている。
     現役時代そして引退後も平尾さんのもつキャプテンシーが好きだった。根性論でもなく自己犠牲でもないキャプテンとして語る言葉、今では当たり前だが、当時の日本のスポーツ界においては特異な人だったのかも知れない。ラグビーに限らず日本スポーツにとっての貴重なリーダーを失ってしまったことは非常に残念だ。これこそ理不尽だと思う。

    mizuさん2016/10/29 23:53に投稿

    0
    そう思う!
  • エディーさんが率いたジャパンを見て私もホッとしましたが、同じ思いだったかもです。

    日本ラグビー界のために、失敗しないで欲しい。と切に願っておりました。この人で失敗したら、と非常にビビっておりましたが、鳴り物入りで始まった平尾プロジェクトも不発で、傷口が大きくなる前に決断されたので、良かったです。再度、立ち上がって欲しいと、遠くから活躍を期待していました。
    私の周囲に限った話かもしれませんが、競技能力の優劣に関係なく、紳士のスポーツとは遠い位置にいる選手の事しか知りませんので、この人達に将来を託さないとならないのは悲しいな。と感じていましたが、平尾さんは期待しかさせない人でした。唯一の例外である彼の喪失は我が国のラグビー競技にとって、損失以外のなにものでもなく、悲嘆に暮れています。とても、個人では抗えない戦いを終えたのですが、先のワールドカップでの戦いで、少し安心できたのかもしれません。

    たけまろさん2016/10/31 11:21に投稿

    0
    そう思う!
  • とにかく憎たらしいくらい強くて、言うことも格好良くてうらやましくも凄いなぁと思っていました。同志社のときよりも7連覇した神鋼時代の方が印象が強いです。スタンドオフというよりインサイドセンター(12番)で試合の流れとスペースを的確にみて、自在にアタックラインを動かして攻撃するという感じを持っています。かなわんなぁといつも思ってました。
    この人は常に陽の当たるところを歩んでいくんだろうなと思っていました。この欄でスポーツ庁の長官は誰がいいかというお題の時は思わず「平尾誠二」と投稿したものです。本当に残念です。それにしても宿澤さんにしても平尾さんにしても・・・生きるということは厳しいものだと毎日思っています。

    伊藤 克也さん2016/11/01 19:26に投稿

    0
    そう思う!
  • 自分にとって平尾誠二の一番の思い出は、伏見工業初優勝のときの最後の左隅へのトライの場面です。TVで見てました。が、ここで訴えたいのは、宿沢監督、平尾が現役だった時の日本代表です。名コンビさながらに期待感たっぷりでした。その二人が今や鬼籍・・・。ラグビーの名選手は皆早死にせねばならんのでしょうか・・・?

    o-kunさん2016/11/01 22:37に投稿

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    そう思う!
  •  多くの人は加齢とともに老醜をさらすようになるものですが、平尾さんはラグビー時代を通じてそれとは無縁の印象を与え続けました。
    なかでも、日本選手権7連覇の活躍は永遠に語り継がれるものではないでしょうか。
    ラグビーの神様がいるとすれば、彼に華麗なプレー、爽やかな容姿、数々のタイトルを与え、その印象が色褪せぬうちに天に召し返し、多くのファンに記憶され語り継がれる永遠の命を吹き込んだように思います。合掌。

    手許 不如意さん2016/11/02 18:29に投稿

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    そう思う!
  • 日本選手権7連覇と大学チームをことごとく倒してきた。ただ勝つだけではなくかっこよく勝つ、トライも普通に取るのではなく、華麗に取る。プレーしていて目指しているレベルやラグビーに対する考え方が一歩先を行っているように感じた。ラグビー人気を作ったのは平尾選手が大学以降の時代だと思う。いつも中心に位置していた選手だと思う。

    はまじいさん2016/11/03 15:27に投稿

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