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山口蛍の生き様が吹き込まれた一撃。
躊躇も雑念もない不器用さの結晶だ。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph byTakuya Sugiyama

posted2016/10/15 11:30

山口蛍の生き様が吹き込まれた一撃。躊躇も雑念もない不器用さの結晶だ。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

イラク戦のゴールは、山口蛍にとって代表で2得点目。1点目も華麗なミドルシュートで、実はファインゴーラーなのである。

思い出したのは、J1残留争いの時のエピソード。

 1つのエピソードがスッと胸に入ってきた。

 2014年秋のこと。

 ブラジルW杯を終えてセレッソ大阪に戻り、彼は8月のFC東京戦で右ひざを痛めて離脱した。診断結果は「右ひざ外側半月板損傷」で全治6週間。その後、キャプテンは勝てないチーム事情もあってか見切り発車に近い形で合流したものの、患部の違和感は消えなかった。再検査の結果、悪化していることが判明。手術は不可避となった。

 シーズン残りの試合は絶望。残留争いに巻き込まれるなかで、彼は手術後もチームに戻らずに最先端のアスレティック・リハビリ施設を有する都内のJISS(国立スポーツ科学センター)でリハビリに専念することを決断する。批判は覚悟のうえだった。

思い切って決めたら、振り返らない。

 その理由について、彼に尋ねたことがある。

「手術したら、すぐにJISSに行くっていうのは決めていました。1日中リハビリで、その内容も厳しいって聞いていたし、1日も早く治すためには行ったほうがいいと思って。

 周りからはキャプテンだからチームに残ってリハビリをやるべきとか、キャプテンとしてそれはダメやろって、言われることもたくさんありました。だけど、自分としてはベストで、正しい決断をしたと思っています。やっぱりケガを治すことが一番なんで。チームでリハビリをやっていて、チーム状況が悪くなっていったら、早く治して試合に出ないといけないとか焦りが出てくるだろうし、そういう気持ちが強くなっていけば、またどっかで無理をしていたかもしれない。自分の今後のサッカー人生を考えても、ここでしっかりと治しておきたかったんです」

 凛とした表情で、彼はそう答えた。

 思い切って決めたら、振り返ることはない。チームメイトに後を託して、厳しいリハビリの日々に取り組んだ。

 その甲斐あって11月下旬、約2カ月ぶりにチームに戻ってリハビリは次の段階に移行した。チームはJ2降格の憂き目にあったが、彼は己でやるべきことをやった。

【次ページ】 魂のシュートには、山口蛍の生き様が吹き込まれていた。

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