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4年ぶりに5勝を挙げた中日・吉見一起。
覚悟を持って「最後」のマウンドへ。 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2016/08/27 11:00

4年ぶりに5勝を挙げた中日・吉見一起。覚悟を持って「最後」のマウンドへ。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

2015年シーズンは開幕から25イニング連続無失点を記録していた吉見。今季は全試合に“最後”の覚悟で臨んでいる。

右肘痛が再発し、引退する決意を固めていた。

「一軍の試合なんか絶対に見なかったですね。テレビはつけませんでした。悔しくて。チームとして結果が出ていませんでしたが、やはり、僕がいなきゃだめなんだということだけが、自分の励みでした」

 エースとしての自負だけが、かろうじて、吉見の心をつなぎ止めた。2015年4月、708日ぶりの勝利を飾った。ただ、祝福してくれる周囲とは裏腹に、心は晴れなかった。肘の違和感が消えていなかったのだ。復活への焦りが無理を生んでいた。登板するごとにやがて、痛みも出てきた。再発という恐怖心が芽生えた。

「また、あの毎日に戻るのか……」

 そんな中で迎えた2015年8月5日のDeNA戦(ナゴヤドーム)、吉見はある決意を秘めてマウンドに上がった。

「もし、この試合で投げて痛みが出るようなら、引退しようと決めていたんです。また、1からリハビリをやる気にはなれなかった」

 そして、投げている途中、右肘に絶望的な痛みが走った。小さくて、軽いダンベルが脳裏をかすめた。視界が真っ暗になった。吉見はこのシーズン限りでユニホームを脱ぐことを決めた。

「今日が最後だというつもりで投げてみよう」

 ただ、その3週間後、悲報が吉見の運命を変えることになる。8月26日、父・秀和さんが急性心不全で亡くなった。小さい頃から吉見が投げる試合は必ずと言っていいほど、観に来てくれていた。昔から心臓が悪かった。本当はお盆の前に手術をする予定だったが、仕事の都合で2カ月後に延期になっていた。

「予定通り、手術していれば…………」

 悔いを抱いたまま喪主を務め、ある日、父が勤務していた会社のUSBメモリーを整理しに行った。すると、その中には吉見についての新聞記事や、記録で埋め尽くされていた。普段、試合を見ても、成績のことについては何一つ言わなかった父親の、深く、温かい思いに涙があふれた。吉見の中で、何かが変わった。もう「引退」の2文字は頭から消えていた。

「父が亡くなったことで、気づいたことがあったんです。誰でも、今日を最後に死ぬかもしれない。今日を最後に投げられなくなるかもしれない。だったら、今日が最後だというつもりで投げてみようと、思えたんです」

【次ページ】 投手としての“死”から4年ぶりに“再生”。

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吉見一起
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